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2008年4月23日 (水)

爆笑問題のニッポンの教養をみて パート2

ゆく川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。

これは鎌倉時代に書かれた鴨長明の方丈記の一文です。今から800年くらい前のものですが現代でも立派に通じる色あせない名文です。鴨長明は日本の哲学者だといっても過言ではないと思います。

番組のテロップの中で、この一文がでていたのが印象的でした。私なりに木田先生が言いたかった事を解釈すると日本人と西洋人は情緒や観念が違う。日本人は自然と共存共栄していくDNAを持ち西洋人は自然を超えた原理があるのではないかというDNAを持っていてる。だから日本人は西洋哲学を理解できないのだと考えられ「反哲学入門」を通して木田先生自身も発想を180度変えたれたいう事をいいたかったのではないでしょうか。

日本文化は建物にしても自然と調和していく事を念頭においています。屋根ひとつとってみても雪が落ちやすいように角度をつけて設計されていますし暖をとるにしても囲炉裏で部屋全体を暖め茅葺屋根の害虫も一緒に退治するように自然の力をいただくという観念があるようです。これに対し西洋は自然を超えたところに原理があるという考え方ですから自然に対立するような建築物も見られるますし順するより対抗するという意識があると思われます。

それにより例えば技術が人の意思を超えて、技術に人が支配されるような西洋文化に対し日本は使いこなしてこそ技術という観念があるので暴走するようなことがないと考えます。私見ですが戦国時代の種子島は鉄砲所有が世界一でした。しかしその後、戦国時代が終わると技術開発を放棄しました。これは語られない事ですが殺戮兵器を改良せず放棄した世界でも稀に見る実例だと思います。技術よりも精神が上にくる日本に対して自然を超越した原理があるという概念から実は技術に翻弄された西洋という側面があると思います。しかし木田先生は古代のギリシャの哲学者たちは日本人の思想に似た哲学をもっていたと言われたように思います。桜散る季節になってきましたが桜吹雪が待って散る美しさは日本人特有のもので西洋の人にはなかなか理解できない概念かもしれません。

神という字は黙して語らずからか、しめす偏に申すと書きます。日本は民主主義の国だといわれていますが、一体いつから民主主義になったのでしょうか。戦国時代までを民主主義という人はいないと思います。では明治維新が民主主義だったのかといえば違うと思います。結局、民主主義とは1945年敗戦してから後のことであって日本の歴史を30センチ定規に例えれるなら4ミリ程度です。これははものさしそのものの実態ではありません。もし日本が民主主義・個人主義だったなら精神のしんの字は「心」と書くはずです。しかし「心」と書かずに「神」という字で表して精神としていて、ここにも日本人の考え方が現れていると思います。

後段で太田さんが木田先生に対し「木田先生はまもなく死ぬんだから悲観的では困る」といっていましたが(これが太田さんのスタイルといえば、そうなのですが年長者やその道のプロに対しての畏敬の念が感じられないのが残念です)少し違うと思います。つまり太田さんがそう思ったことから話が脱線したまま、いつも番組が終わってしまう事が残念だなと感じました。

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