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2008年4月19日 (土)

日本史サスペンス 春日局編を見て①

先日、4チャンネルの日本史サスペンスをみました。

春日局の話だったのですが竹千代(家光)と国松が家康と謁見するシーンで「大御所様もお元気で嬉しいです」「突然のご訪問感激至極で御座います」と挨拶するのですが、本当は「嬉しゅう御座います」 「恐悦至極に御座います」というべきではないでしょうか。

さて本論ですが番組の核心は、家光はお江与の方の子ではなく春日局が母であるとしていました。(余談ですが12チャンネルで家光は家康と春日局の子であるという説を放送していました。混同しますので家光は2代将軍・秀頼と春日局の子という説を採用します)ハッキリして居ることは家康が長男・家光を家督相続させると決めたことです。番組では「今の代は天下太平を求めている。これからは守るべき秩序を重んじよ。長幼の序もそのひとつ。分かったか」春日局が家康に直訴し竹千代を跡目にしてほしいという事の返事だというのですが、本当にそうなのでしょうか。ここからが私の推察です。跡目相続はお家断絶の元なのでしっかりとした定義をつくりたかった 二男が後を継ぐとなると下克上となり太平の世に戦乱の種が生まれてしまいます。確かに家康ほどの人物ですから、そういう考えの元にしっかりとした定義を作りたかったのだと思うのですが果たして、それだけだったのでしょうか。

では家康は何故、家光を世継ぎとしたのでしょうか。家康の心情を理解して行くには彼の人生を紐どかなければ成りません。幼少期に家康は今川家に人質にとられ、その後今川の血を引く築山御前を正室に迎え嫡男・信康が誕生しました。築山御前の伯父・今川義元は桶狭間の戦いで織田信長に討ち取られました。つまり築山御前を中心に考えると彼女は自分の息子の名前に自分の伯父を討った憎き敵の字を付けられた上に(信康の信は信長より「」の一字を与えられ康は家康の康です)信長の娘を嫁にとらなければならなかったのですから当然、面白くなかったのだと思います。よって今でも徳姫と築山御前は不仲だったという説が有力です。その不仲を徳姫が信長に書状で訴えたところ築山御前と信康は裏で武田と繋がっているとされ信長が激怒し信康を殺せといった説が主流です。よって家康は信長に正室と嫡男の処刑を命じられたのですから心の底では信長の事を恨みにおもっていたのではないでしょうか。

家康を中心に考えると嫡男・信康を二代将軍に出来ませんでした。三男・秀忠(母・西郷の局)と信長の姪(お市の方の三女・お江与)との間に産まれた国松には織田信長の血が流れていることになります。更にお江与の父は浅井長政です。家康は浅井に包囲された事があり死にかかった事があります。よって家康は徳川家に信長と浅井の血を入れたくないと思ったのではないでしょうか。 

ゆうき 蘭でした。

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