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2008年4月 7日 (月)

知るを楽しむ 野村監督編 追伸

野村監督の半生をおった番組、知るを楽しむの感想を記事にしたところ多くの人が読んで下さった様なので、もう少し感じたところを綴りたいと思います。

野村監督におきた不思議な出来事を二つ記します。
野村少年は極貧の家計を救うためにプロ野球の選手を目指しました。しかし無名高校の弱小チームでは道が開けません。そこで南海ホークスの入団テストを受けることにしました。最初のテストは苦手な遠投でした。チャンスは2回 合格なら白旗、不合格は赤旗です。渾身の力で第1球、規程に届かず赤旗。最後のチャンス、第2球を投げようとしたその時、審査員の人が近づいてきて「前いけ前いけ」と小さな声で手振りしました。その言葉に甘えて野村少年は5m程フライングして投げたところ合格の白旗が上がったそうです。野村監督自身、この人が居なければ南海に入れないのですから本人曰く「恐ろしい」という言葉で奇蹟を表現していました。つまりこの審査員が居なければ戦後初の三冠王・野村選手は誕生しなかったのです。

更に不思議な事が続きます。
無事、入団をし希望通りキャッチャーのポジションについた野村監督ですがキャッチャーとは名ばかりで来る日も来る日も球を受けるだけの「カベ」と呼ばれる存在でした。一年たったある日、呼び出された野村監督は「来年は契約しない。クビだよ」と突然告げられました。「僕、何もやってません。プルペンでタマ受けただけですけど」と言うと「この目はプロの目だ。お前に素質はない。無理だ早く帰れ。早い方がいい。その方が俺を感謝する日が来る」と返されてしまいました。

その時、野村監督の脳裏に田舎の母親の顔が浮かびました。貧乏にもかかわらず自分の夢を追わせてくれた母。自らの大学進学の夢を断ってまで高校進学を後押ししてくれた兄。たった一年で帰っては恥ずかしくて町も歩けない。「お願いです。給料ゼロで良いですから、もう1年だけやらせて下さい」と涙ながらの訴えました。・・・緊張の10分間。何とか野村監督の訴えは通じ退団は免れました。

戦後三冠王と言えば野村監督の他に王監督そして中日の落合監督ですが実は落合監督も不思議な体験をしています。プロボーラーを志していた落合監督がプロテスト受験の際にスピード違反で捕ってしまいました。すると罰金を支払ったことで受験料が払えなくなり受験できずプロボーラーの道を断念したのです。

私が大変興味深いのは強運な人のみに備わっているのか小説でもこうはいかないだろうという奇跡的な幸運が起こる点です。テストを受ける少年は野村監督だけではなかったのに野村監督だけにフライングを示唆してくれた審査員がつくという確率は天文学的なものではないのでしょうか。落合監督にしても、あと少しのお金があればプロボーラーの試験をうけ合格していても不思議はありません。スピード違反で捕まることも珍しければ丁度その時に手持ちがなかったというのも幸運すぎる出来事です。これを偶然と思う人もいるでしょうが私は世に偶然は一つとしてなく全てが必然だと考えていますので、これは成るべくしてなったのだと考えます。そして、そんな人の人生の道の流れには小石や間違った道があっても不思議な力で正道に導かれる。異論もあるでしょうが私は必然である事例だったと思いました。

ゆうき蘭でした

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