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2008年6月22日 (日)

大東亜戦争から太平洋戦争、次はアジア太平洋戦争?41

従って今、韓国・北朝鮮が日本人に反感を持っているのは教育の産物です。私の書いていることを韓国から来ている留学生の方がいたら検証してみてください。 私がここに記していることは学校で教わったことではありません。

(大東亜戦争から太平洋戦争、次はアジア太平洋戦争?⑪ 08/06/14)で記したように私の一番印象に残っている先生は「日本人は悪いことをしたんだ」と云いました。そこでどのような悪さをしたのか調べていくと従軍慰安婦の問題が確かにありました。しかし悪政ばかりではありません。むしろ善政の方が多いのです。伊藤博文を暗殺した男が韓国では英雄で伊藤が極悪人という扱いを受けていますが、その因・縁・果の検証が出来ませんでした。当時の海外メディアからは伊藤博文の死を悼み惜しむ声が聞こえます。

一体なぜ日本の国は歴史の検証をしないのでしょうか?
ごく最近、宮崎勤が死刑執行されましたが事件から20年も立っています。殺害された当時の4人の女の子達が生きていたら25歳か27歳です。今頃、結婚をして赤ちゃんを抱いて人生を満喫していたかも知れません。分かりきった凶悪犯の審議には20年もかけるのに国のしたことの検証は、いつ どこで為されたのでしょうか?もう60年以上も経過するのにです。その間、韓国・北朝鮮では全く逆の日本人史観の教育が連綿と続いてきたように思います。

プロパガンダとは恐ろしいものです。「そんなもの」と鼻で笑っている内に癌細胞のように転移していき気がついた頃には偽情報を真実とするようになっていきます。日本人は朝鮮人に当時、西洋が取ったような植民地政策は取っていません。それどころか韓国の皇太子に昭和天皇のお后になっても不思議でなかった人が個人の思いとは別に朝鮮に嫁がれています。これ一つ取ってみても欧州の植民地政策とは明らかに一線を画します。

韓国人は伊藤博文は極悪人であるとし千円札の伊藤博文を嫌いました。伊藤博文(享年68)をハルピン駅で暗殺した安重根を国では「義士」として英雄としているほどですから。しかし伊藤は本来、日韓併合に反対でした。デジタル値で検証してみると日本が朝鮮半島につぎ込んだ資本は現在の価値にすると80兆円以上との試算があります。この額は現在の日本の国家予算と同じです。今でも北朝鮮・韓国の人々から受ける日本人極悪論に対して一切の反論材料も教えないどころか、日本人は悪かったと決め付ける日本の100%過失論教育まで考え積算すると国債の借金残高と同額といってもいいでしょうね。

その上、日韓併合の申し出は朝鮮の王室だけではありませんでした。朝鮮併合に賛成する多勢の朝鮮人の中には当時の朝鮮首相・李完用もいました。反日派の群衆に2回も自宅を焼かれた事実が証明しています。それでも彼は「日本の力を頼り韓国を近代化しなければならない」と叫び続けました。彼を中心に最大の政治勢力の一進会は最高時には100万人は居たとされます(最も韓国人は存在は認めて居るようですが数字は認めていないようです)しかし一進会が日韓併合に大きく寄与したことは確かなようです。

よって伊藤博文は「朝鮮を併合しても莫大な出費を強いられるだけで、日本にはそのような出費に耐えられる国力はない」として朝鮮併合に反対していたのです。伊藤は周防国熊毛郡束荷村字野尻(現・山口県光市束荷字野尻)に、農民・十蔵、琴子の長男として生まれ 家が貧しく12歳ころから奉公に出ます。父が萩藩の中間水井武兵衛(後に伊藤直右衛門と改名)の養子となり、下級武士の身分を得ました。松下村塾で身分に一切関係なく教育をする教育者・吉田松陰を知り吉田松陰の思想を現実にすべく行動した先輩・高杉晋作を間近で見ていた伊藤自身が教育の重要性を一番理解しており吉田松陰が農民出身の伊藤を一人の人格者として見たように一切、人種・身分で区分けをしてはならない事は身にしみて知っていた筈です。よって伊藤博文が朝鮮の教育の浸透にも力を入れたのは当然でした。

日本敗戦の1945年までの間に、朝鮮では1000以上の学校が設立されたのは松下村塾の塾生であった伊藤博文の尽力が注がれていた証です。伊藤は当時の朝鮮を独立させようとしてきましたが朝鮮は独立できませんでした。それで日本は朝鮮を保護国としたのですが、もし朝鮮が独立できていれば・・私は世界の歴史の中でも松下村塾は教育界の大奇跡を起こしたと考えていますので韓国に吉田松陰の思想が広がっていけば本家の日本にも好影響を与えたのではないかと思うと残念です。

松陰が説いた飛耳長目(ひじちょうもく⇒全国から情報を集め正しい眼で真実を探し出す)は現代の教育には一切ない教育理念です。浮世絵・歌舞伎・相撲・柔道と今まで見向きもしなかった日本の素晴らしい伝統を外国で認められると日本人は目の色を変えて慌てて見直すという習性がありますから飛耳長目の精神を競って各学校が取り入れたのであれば、その後の日清・日露はなかったかも知れませんし勝利しても驕ることなく「大東亜戦争は飛耳長目の精神から反する」という結論を素直に受け入れたかも知れません。

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