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2008年6月 3日 (火)

あいのりをみて

あいのりにベナン人のゾマホンさん(日本で外国人タレントとして活動していた人です)が出ていて奴隷制度について説明していました。下記の記事で奴隷の事について触れたのですが、より詳しく分かりやすく番組内で解説していたのでアップしたいと思います。

(5/31のアフリカ③と関連しています。)

番組ではゾマホンさんがメンバーをウィダという町へ案内しました。ここは嘗てアフリカで最も大きな奴隷市場があった町でした。ここで売買された人々の数は500万にも上るそうです。奴隷として買い取られた人達は裸にされ大きな木(帰還の木)の周りを三周させられました。これにより「アメリカに渡っても魂だけはアフリカに帰ってこられる」と僅かな希望で従順にさせる為に奴隷商人はそう信じ込ませたそうです。そして灼熱の砂の上を木材で首に繋がれ延々と海岸まで歩かされました。そして海岸につくと帰らずの門をとおり奴隷船に乗せられます。狭い船底に押し込められた為、衛生状態も悪く3割の人がここで亡くなったそうです。しかしアメリカ大陸に何とか到着した人も逃げ出せば鞭で打たれたり手足を切断されたり、集まって叛乱を起こすことがないように親子や兄弟、同じ民族は離ればなれにさせられました。民族が違うと言葉も異なる為、奴隷にされた人たちは話すことも出来ず英語を学ぶことも禁じられました。こうして言葉も文化もルーツも奪われたのです。そして、いつの日か人々は自分が奴隷であることに疑問すら抱かなくなりました。

アフリカから連れて行かれた多くの人は働き盛りの若い男性でした。奴隷貿易はアフリカの飢餓や貧困を起こした要因となっています。

400年の間、国家的事業として奴隷貿易を行っていました。まず、船はヨーロッパから売れない安物の綿製品やアクセサリーを積みアフリカに行きます。アフリカに到着すると綿製品などと奴隷を交換します。そしてアメリカや中年米に連れて行き奴隷と砂糖やタバコを交換し、ヨーロッパに戻ります。これを三角貿易といいます。こうしてヨーロッパの資本家たちは莫大な利益を手に入れました。ゾマホンさんは「今、私達が知っているアフリカの歴史というのは欧米人が書いたものです。自分の利益と自分の都合に基づいて書かれた。だから貿易という言葉を使った」と言っていました。

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