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2009年5月 7日 (木)

GWに考えた事。

 直木賞を取った小説を1冊と、国際ジャーナリストの人の作品を読みました。

 取り立てて印象には残りませんでした。私が大事にしているのは、現在地と現在値です。これがハッキリしないと、読者は定まらないと思います。つまり主人公は何者なのか書かないと、私は分からないと思うのですが、最近の作品は主人公捜しから始めなければならないようなところがあります。

 昔の小説を読むと、「身長は一七五センチで、スーツの似合う髪を七三分けにし、ネクタイを締めた男であった」というような、その人物描写が詳しく描いているものが多いです。このブログで何時もいっているメディア・イズ・メッセージで当時は映像メディアが少なく、ラジオを基本としていたせいで、読者にまず人物を想像させるためにそうだったのかなと思います。

 でも今はテレビ主体で、間に入るラーメンのCMとか家電のCMとかが入り、種々雑多な中で生きています。そんな中で定まらない文化が構築され、それはそれで良しと大衆が認めるようになっていきたのではないかと考えます。

 例えば、歌でも歌詞が早口で何を言っているのか分からなかったり、イントネーションも違っていたりする歌があります。有名な♪蛍の光、窓の雪~という歌がありますが、このイントネーションは本来、おかしい訳ですが、そういった歌も受け入れられる時代なのだと捉えています。

 小説は、それぞれに好みがありますが、人は時代に翻弄されるものだと思っています。例えば、何年経っても豚インフルエンザの時のGWは高速道路が千円で、というように時代を背負っているのが人間だと思います。ですから、その時流の中でもがき、決断するところ、 時代と自分は無関係で何気ない出来事に出会うという作品が多いのですが、それが文学なのかという疑問が私にあります。

 加藤周一さんが、「人間の価値観を文字に表したものが文学で、文学とは人生及び社会の目的を決める者である」と言っていますが、この言葉を改めて考えました。

 真の休養とは、孤独になる事だと思います。昔はそういう週刊があったのではないかと思うことがあります。一生懸命は、一所懸命と言いました。当時は一つ県を跨ぐだけで異国の地に行くようなもので、そこには何がいるのか分からないので、総評して鬼と捉えました。それが良い悪いではなく、旅というものは市と隣り合わせでした。

 松尾芭蕉が旅立つときに最初に見たものは、二歳くらいの子供が川原に捨てられている光景でした。恐らく、間引きだったのだと思われます。夜になれば、獣に襲われたかも知れません。

 しかし現代は昔、鬼がいるかも知れないと思われた旅に出かけていきます。それは高速道路が千円で乗り放題という経済を中心とした考えからです。昔は命懸けの旅が今は安らぎの旅か、安らぎの旅だと思って皆と同じ行動をとっている事が安心するのか分かりませんが、昔の人との違いです。

 例えば小泉さんが何か言うと、特別な事を言ったような報道をします。その本質は、郵政選挙で大勝した事への賛辞だと思いますが、票を集めた=正しい政治だったという事にはならないと思っています。高支持率だった内閣を調べると、田中内閣があり、当時、今太閤と言われるほどの人気でした。列島改造論で日本の地価を上げるだけ上げて、それが不況の原因となりました。

 東条内閣、これも任期が高かったようです。それに比べて吉田茂首相は馬鹿ヤロー解散の時にかなり叩かれたとか。所得倍増論を言った池田首相は「貧乏人は麦を食えと言ったとかで、そのような事実はないものの、物議を醸し出しましたが、後生から見れば吉田さんと池田さんは名宰相に分類されるのではないでしょうか。それに対し、小泉さんが後生、名宰相になることはないと個人的には思っています。

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