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2010年9月20日 (月)

南国土佐を後にして②

「さて、ここからがメインの質問。龍馬が、よさこい節を作ったという話しだけど、これは本当なんだ。何故、龍馬はよさこい節を作ったのか。龍馬は土佐脱藩浪士達と海援隊を創設し、伊予大洲藩所有の蒸気船・いろは丸を、海運業の目的で一航海十五日につき五百両で借り受けた。処女航海は長崎から大阪。 龍馬は、それこそ天にも登る思いだったろうね。しかし濃霧の夜一一時頃、徳川御三家の紀州藩の八八〇トンの明光丸と、一六〇トンのいろは丸は衝突してしまう。いろは丸には諸藩に売りさばく為に積んであった武器三万五千丁、金塊四万八千両が海の藻屑になってしまった。

裁きは長崎奉行所に持ち込まれた。しかし相手は徳川御三家。それだけでも分が悪い。それまで大と小が激突すれば、大に小が海路を譲るのが当然という不文律があった。ここでも分が悪かった龍馬は明光丸の航海日誌を確保したが、明光丸が悪く、いろは丸が正しいとする決定的な証拠は得られなかった。

それで国際法の万国公法を持ち出して交渉するが、遅々として進まない。そこで龍馬は、長崎の花街・丸山で『沈められたる償い金は首を取るのがよござんしょ。よさこい、よさこい♪』と賠償もしないような紀州藩なら何が徳川御三家だ。ない方がマシだという歌を流行らせ紀州藩にプレッシャーをかけた。今で言うイメージダウン戦略。ネガティブキャンペーンを行ったんだね。武士が商売をする事は恥とされた時代。龍馬は日本初の株式会社・亀山社中、後の海援隊を創設し、おりょうと共に日本初の新婚旅行に行き、そして、お国のよさこい節を駆使して徹底したメディア戦略で対抗したんだ。

今流に言えば有能な広告宣伝マンでもあったんだね。結局、紀州は、このままでは沽券に関わると七万両、現在でいえば三〇億円を賠償金として支払ったという。紀州としては、金を払わなければ土佐と長州が連合を組んで紀州藩に戦いを挑んでくるかもしれないと恐れたんだろうね」

龍馬伝も、これから龍馬が長州藩と組んで幕府と戦う「第二次長幕戦争」から明光丸との激突が描かれるようです。何でも、いろは丸の沈没シーンはCG技術を使って制作されるそうなので、ちょっと興味が湧きますね。

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