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2015年8月14日 (金)

凡庸という悪魔 完成版

昨日のNY株 17408(+5.74)

本日の日経平均 20519(-76)

 ヒトラーが極悪人であることは純然たる事実であるがナチスドイツを作り上げたのはヒトラー 一人ではない。
 ヒトラーはいうなれば宮崎映画に出てくるカオナシの仮面でしかないのだ。 
 真の悪とはなんであるか。それは『凡庸さ』である。

 そもそも凡庸とは何であろう。平凡とは何が違うのか。平凡とは平均という意味であり
 「平凡な暮らし」といえば平均的な幸せを享受しているイメージが湧いてくる。
 これを「凡庸な暮らし」に言い換えると途端にイメージが反転し、何やら暗い人生しか想像出来ない。
 凡庸の「庸」には取るに足らぬつまらないものという意味合いが含まれている。
 
 ヒトラーの手下であった高級官僚のアイヒマンはナチスによるユダヤ人のホロコーストに関与し、大量のユダヤ人を捕まえて強制収容所に移送する際の指揮を執っていた人物である。
 13年の逃亡生活の末に身柄を拘束され裁判にかけられたのが「アイヒマン裁判」で大変な注目を集めて大勢の傍聴者が集まった。
 人々は一体どれほどの極悪人が出てくるのだろうと固唾を呑んで見守っていたが、果たして刑務官に引き連れられて来た男は見窄らしい何処にでもいそうな禿げたオッサンであった。
 アイヒマンはユダヤ人殺害に関与したのを認めつつも一貫して
「自分は命令に従っただけであり命令に従わなければ殺されていた。私がやらなくても他の人がやっていただけである」と無実を主張し続けた。
 淡々と進行していく裁判の中、常に冷静だったアイヒマンが一度だけ感情を露わにした事があった。
「自分より出世の早い奴がいた。自分はこれだけ頑張っているのに出世出来なかった」と憤慨したのだ。
 アイヒマンを動かしていたのは異常な出世欲と命令に背いたら殺されるというヒトラーへの恐怖心、アメとムチだけで行動していただけだった。
 ナチスの決定にただ従っていたアイヒマンは有罪なのか無罪なのか。悪であるか? 
 倫理的・道徳的にみれば命令されていようがなんだろうがアイヒマンは完全な悪である。
 しかしアイヒマンはナチスの法律に沿って悪という自覚もなく真面目に生きていただけであった。もしアイヒマンを裁くのならばナチスを絶対的に支持したドイツ国民、ナチスに強制的といえど協力したユダヤ人全員を裁かなくてはいけない。だから近代法の精神を照らし合わせたときにアイヒマンを裁くことは出来ないのである。
 たまたまアイヒマンがその立場にいただけで誰もがアイヒマンだったのだ。

 このアイヒマン裁判を見ていたハンナ・アーレント(ユダヤ人の思想家)は「何と凡庸なつまらない男だ」と感じたという。
 そしてハンナは悪の本質、悪の構造に気がついた。
 最大の悪はヒトラーでもアイヒマンでもなく思考停止なのだ。と
 純粋な悪とは悪意に宿るのではなく何も考えていない思考停止に宿るのだ。

 この仕事の裏でいくつの命が失われようとも出世が出来れば良い。思考停止を続けた結果ドイツ全体が良心を失って巨大なナチスドイツという悪が生まれた。
 思考停止が凡庸の人間を生み出し全体主義が浮かび上がってくる。そして全体主義が独裁者ヒトラーを生み出した。ヒトラーを生み出したのはヒトラーではなく思考停止に陥った凡庸な民衆だった。

 これは日本社会でも全世界どこでも当て嵌る共通した構造である。
 ミクロでいえば数年前から騒がれている虐め問題「みんながやってるからいいじゃん」と相手の事も何も考えず虐めがエスカレートしていき遂には自殺にまで追い込む。
 人間は思考を止めると空気とノリとイメージに支配される。
 自分の出世だけを考える。何も考えず周りに流される。空気とノリとイメージだけで物事を判断しているのならそれはアイヒマンそのものだ。
 国も含めて全ての組織に凡庸という悪魔は宿る。人類の最大の敵は思考を止める事なのだ。思考停止は自分で何も考えなくていいから楽である。だからこそ凡庸という悪魔に唆されてはいけない。
 全体主義は必ず破滅を導くのである。思考を止めてはいけない。

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