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2017年2月12日 (日)

森喜朗はシンキロウと読める

 嘗てハマコ-と呼ばれた浜田幸ーは田中角栄閥で4億5000万円もらってラスベガスで使い果たしたはちゃめちゃな男だったが、そのハマコーは森が総理だったときに「この蜃気楼(シンキロウ)が」と面罵したことがある。確かに森喜朗はシンキロウと読める。要するに実体がないという悪い意味でいった言葉である。それでシンキロウは現在国会議員ではない。それなのにオリンピック組織委員会会長なのである。オリンピックは当然開催地東京の首長の小池東京都知事が主人公になる。
 しかし国挙げてのオリンピックだからオリンピック担当大臣がいて、丸川珠代大臣がその任である。だがなんでシンキロウがオリンピック組織委員会会長なのか、都民、国民は?である。こういうのをサイレント・マジョリティーという。気色が悪いがこれといった罪状がない。だが舛添が都知事なら二人で連んで現在のような問題はスルーだったことは想像に難くない。声なき大衆・物言わぬ多数派は浅田真央選手に対し「大事なときには必ず転ぶ」といった。当然転倒した浅田選手が毎晩夢見るほどトラウマになっている。
 組織の長、ましてその国の長であったのならその痛みを少しでも和らげるべく
「日の丸を背負って戦う選手はいわば日本の心の兵士。安倍総理をみれば分かる通り、一回目の失敗があったから総理に返り咲いた二回目は更に強くなった。浅田真央選手も当然、更に強くなる。日本人の皆さん。浅田真央選手が見上げる日の丸は同時に皆さんの心の日の丸です。どうか応援してあげて下さい」くらいのコメントがあって然るべきだった。
 その声を聞けば浅田選手は元よりオリンピックの全選手が燃える。政治は言葉だということはそういう事をいう。それもシンキロウは負け将軍で国民の人気がなかった。要するにお前がいうか、もっといえばお前だけには言われたくないという思いが国民にはある。クラスで一位になるのも大変、更に学年で一位は更に大変、それが全国で一位となったらこれは勝ち組だが、オリンピックではそれでも国連加盟193ヶ国、だから193分の1でしかない。
 そこで更に金メダルを目指すとなれば神業である。日本の総理なんてアンタそういっちゃあ悪いが1989年、海部内閣以降、海部、宮澤、細川、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、福田、麻生、鳩山、菅、野田、そして再びの安倍さんまで祖父が岸信介、福田は父が福田赳夫、麻生さんは祖父が吉田茂の一子相伝内閣、早い話が北の将軍様に近い。シンキロウの父親だって議員だったし、議員とは美味しい商売で地盤(講演会組織)看板(知名度)鞄(選挙資金) 一個人に一つ政治資金管理団体と息子に非課税で渡せる相続で民間は大変なのに殆ど無税に子供に引き渡せる。
 だから継がせたくない継ぎたくないが民間なのに継がせたい、継ぎたいで歌舞伎の梨園のようになって小泉家など4代も国会議員、ちゅうことはもう100年も国民の税金で生きているお公家様のような存在で親の七光りの職種である。
 比しオリンピック選手は親の光りがどころか親の名声がプレッシャーになる世界である。つまりシンキロウはそういう世の中の矛盾という宿命の中で血がそうであれば誰でもなれる議員が、血でもなれない世界を相手に戦っている選手に上から目線を超えた北の金正恩かという発言をしていたことになる。
 世の為、人の為、イヤ選手のやる気のためにもシンキロウは異物でしかない。即刻辞めることが2020東京五輪成功への道となる。だってそうだろう。擦った揉んだのエンブレム、新国立競技場いったい幾らで出来るのよ、それも聖火台作るの忘れていた。そういうのってアンタ、シンキロウがしっかりしていたら起きなかったんじゃないのというわけだ。

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