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2017年5月 6日 (土)

メディア・イズ・メッセージ

 テレビを見ていると出演者と馴染みになった気になってくる。というよりしょっちゅう出ていると隣の小父さん、親戚の小父さんのことより分かる。その次に当然好き嫌いがある。マクルーハンはメディア・イズ・メッセージといった。最後の晩餐には何を食べたいですか?という質問に渡哲也は
「コハダ、酢でキュッとしめたコハダの寿司」といった。コハダは回転寿司でも安い皿で回ってくる。決して高級魚ではない。しかし熱々の銀シャリに酢でしめたコハダを乗せるとまさに芸術である。私の友人は渡ファンだが光り物は苦手だった。

 しかし寡黙な渡哲也が「たまらんですね」といって頬張って実に美味そうに食べると渡ファンは光り物が苦手でも、渡哲也になった心境でコハダを注文して食べたらその味が心に沁みた。要するに美味かったのである。なんで俺はこの味を分からなかったのだろうとしみじみ思う。それから他の光り物のイワシ、サバ、サヨリ、アジも食べられるようになった。

 ただその逆もあって例えばプリウスが好きだったとしても大嫌いな俳優がCMに出ていると別の車を薦められたりすると、そっちに目移りする。メディアの定義で調べると
「情報の記録、伝達、保管などに用いられる物や装置のことである」と出て来る。どういうことか、これだと何のことだか分からない。具体的にいえばテレビ情報がメディア、それを消化して頭に残った記憶がメッセージである。つまりテレビとは良い記憶と悪い記憶を残すマシーンということか。

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