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2017年6月 6日 (火)

竹中平蔵

 検事には検事一体の原則というものがある。『疑わしきは罰せず』が大前提なのに検事が変わったら無罪が有罪になってしまう。検事はサラリーマンと違いその身分は皆独立している。よって上からの圧力はないことになっているが、それでは被告人はその検事によって無罪が有罪、有罪が無罪にもなる。それは不味いで、そこだけはサラリーマンのように前任検事の意向を組むということである。

 しかし仮に医者がする誤診のようなものは当然ある。だから私はAI判決君の方が間違いなく検事一体の原則に叶うと言っている。ただここでいいたいのはそのことではない。

 誤診、検事の誤謬は患者、被告人一人の問題である。しかし政治は1億2700万の国民全ての運命が関わる。故に検事一体以上に政治一体の原則が必要である。

 それがオブチノミックス行け行けドンドンドン、小泉で急ブレーキ、アベノミクスでまたエンジン全開、政治一体のない学者、そのものの名は竹中平蔵。

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