書籍・雑誌

2008年11月25日 (火)

「夜回り先生」を読んで①

夜回り先生こと水谷修さんの著書「夜回り先生」を読みました。

何故、こんなに他人の為に奔走する事ができるのだろうか。というのが正直な感想です。先生は必ず夜回りをし、帰宅してからもメールや電話で全国の子供達からの相談を受け付けています。睡眠時間は僅か1,2時間。ナポレオンだって、もう少し寝ています。そんな生活をもう15年ほど続けているそうです。

著書には生い立ちと今まで関わった中で印象的だった少年・少女の話が載っていました。先生自身、少年期は貧しい生活の中で育ち、親とも一緒に暮らせない状況だったと綴ってありました。青年期には自らも夜の町で遊んで荒れた生活をしていたそうです。でも恩師との出会いや旅行をする事によって立ち直り、大学卒業後、教師になりました。

養護学校の教員、進学高校の教師をして、あるきっかけから夜間学校の先生になります。

私は、いつも思うのですが、本人が意識しなくても見えざる力でそちらの道に進むときがあります。例えば、波瀾万丈というテレビ番組では、偶々応募したオーディションを受けたら合格してしまった。話のタネに会場に行ってみたらデビューする事になってしまった。とかボーリングの選手になろうと思っていたのだけど、途中でトラブルに遭ってしまい、残っていた野球選手になった。という事実は小説よりも奇なりといった事があるのですが、水谷先生の場合も、それを感じました。

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2008年9月 9日 (火)

「甘えの構造」を読んで⑧

今日、権力が集中し非常に強大なものとなっているも拘わらず、権威は何処にも感じられなくなっているという事実をあげることができる。しかがって現代社会の特長は父がいないといえることができるかもしれない。

日本もある意味では、やはり父なき社会と呼べるような状況に明治以後はおいっていると考えられるが、それは西予文化の輸入とともに旧来の秩序や権威が天皇制を除けば、全て覆された為である。親爺という日本語が親しさと共に何か古くさい印象を伴うのは恐らくこの間の事情を反映しているのであろう。それでも今次大戦までは親父はまだ祭られる存在であった。しかし戦後急速に奉られることさえなくなったが。これは一つに敗戦によって更に徹底的に従来の道徳観が打撃を受けたためである。

実際、敗戦直後、これまで国民指針の中核をなしていた忠孝の道徳が各方面で批判されたことは我々の記憶に正しいところである。またこれと同時にそれまでは先進国として景仰していた西洋自体も戦後大きな混乱に見回れ、世界全体の思想状況がますます父親的権威否定の方向に向かっていることが直接間接日本にも影響を及ぼしていると考えねばならないのである。問題は結局、父親ないし父親的原理が無用の長物か否かという点に帰着する。それは単純に、この地上から消失していく者であろうか。私はそうはおもわない。これは人間性に深く根ざしたものでる故に全く父なき社会が言述することはないであろう。先に述べたごとく父親が弱いことに対する憤りであり、強い父親を待望する叫びであると解する事ができる。

父と母なくして生まれてきた人間は、一人としていません。

父と母があって人が生まれ、人が集まって国をなし、それが地球上に広まって世界を構成しています。このバランスが狂っているという事が今、社会全体に支障を来している原因です。今、女性が強くなったと言いますが、それは強くなったわけではなく、強い男性がいなくなったがいないからではないかと思います。

今の男性も嘗ては少年でした。少年は父親の背を見て育ちます。つまり、在る世代から強い父がいなくなり、それを見て育った少年が増えた為に日本男児がいなくなってしまったのではないでしょうか。では、いつ強い父は消えたのか。それは太平洋戦争に遡ります。

敗戦後、日本は「今までの教育は全て間違っていた」と良い悪いに拘わらず、全ての日本精神を廃し、西洋文化至上主義に傾倒しました。それもその筈で西洋の絢爛たる物質文化に日本人は憧れ、それに追いつく事を第一として高度成長期を迎え、見事経済大国二位になった訳です。

しかし、いくら物に不自由しない生活になったところで、私達は当時の人より精神的に優れているかと言われると、そうは言えない面があります。昔は和魂洋才と言って日本の魂を残しつつ、西洋の良いところは取り入れてきました。しかし今は日本の魂を捨て去っています。譬え、どんなに、貧しくても精神が強ければ人は立派に成長します。逆に、どんなに不自由しない環境で育てても精神無きところに人物は育ちません。

今一度、日本人は自分と祖先を見つめ直し、日本の精神に立ち返るべき時に来ているのではないでしょうか。

                   2008年9月10日 (水)虐めの構造①

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2008年9月 8日 (月)

「甘えの構造」を読んで⑦

「くやみ」と「くやしさ」が日本人が低迷しやすい感情であるという事について一言しておこう。実際、日本人に顕著な判官贔屓の真理と密接な関係がある。この真理については佐藤忠男氏が極めて洞察に飛んだ解釈をしておられるが、氏はそこで日本人が義経・楠木正成・四十七士・西郷隆盛などのごとき敗残の将の方に強い親近感を覚えるのは道徳的マゾヒストの現れだとのべておられる。

この解釈は全く正しいが、もっと普通の言葉で分かりやすくいえば、悔しさの為である。日本人は得てして悔しい感情を持ち、また奇妙な事だがそれを大事にする。悔しい感情自体を賎しむべき物だとは思わない。そこで歴史上の人物で悔しさを充分経験したと思われるものと同一化し、これらの人物を持ち上げることによって自分自身のくやしさのカタルシスをはかっていると考えられるのである。

このように日本人が悔しさの感情を大事にする天は欧米人と随分違うところである。もちろん欧米人にも復讐の概念はある。しかしこれは正義感と密接な関係があるのにたいして日本人の悔しさは必ずじも正義感とは結びつかない。むしろそれは上述した如くの甘えと関係がある。

昔の武士などは親が殺されたりすると旅をしてまで敵を捜し出し、果たし合いをしたと聞いたことがあります。今のように情報化でない時代に、どこにいるとも分からない敵を捜す復讐の旅は想像を絶します。

上記のように日本人特有の感性の中に「仇討ち」というものがあります。源義経も打倒平氏で兄の元に駆けつけ、平氏を滅ぼしました。四十七士も主君・浅野内匠頭の切腹に対し幕府に異議を唱えた結果、受け入れられず吉良上野介を討ちました。

この仇討ちも「くやしさ」が主な感情です。父母の無念や主君の無念を晴らしたいという原動力があり、またそれを、ある意味で重要視する民族が日本人なのだと思いました。

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2008年9月 7日 (日)

「甘えの構造」を読んで⑥

中国人と日本人は国も地理的に近く、日本は中国の文化に強く影響を受けていると聞いていたので、私は同じ東洋人なので国民性も似ているのかなと思っていたのですが、その辺について面白い記述がありました。

フランシスコ・ザビエルも、その手紙の中で度々、日本人が如何に知識欲に富み、探求心が旺盛であるかをのべ、この点が日本人が他の異教徒と著しく異なると行って感心している。日本が東京諸国の中でももっとも早く近代化を遂げた事には、このような好奇心・知識欲があったと言ってよいであろう。

日本人が好奇心にとんでいる国民性を持っていることは二つの事例をもって知っていました。一つめは世界中のどこの国にいっても大体日本人がいるという点です。二つめは黒船が来航したときに、何人かの日本人は手こぎの船で黒船へと近づき、物々交換をしたそうです。そこでボタンをみて日本の服にも用いられるようになったと聞いたことがあります。

日本が問うようでいち早く近代化を遂げたのは日本人の順応性と好奇心、つまり良い物は取り入れるという和魂洋才からきていたのは確かです。

この点で日本人と対照的なのは中国人である。彼らは西洋文化に対しもっぱら侮蔑の目を剥けているが、その事は次に引用する魯迅の自序に一説にも明らかに読み取れる。「その頃は官吏の試験を受けるのが正当なコースであり、洋学を勉強するのは世間の目からすると行き場の失った人間が、遂に魂をけとうに売り渡した物とみられた」このような中国人の洋学に対する態度は日本人のそれに比して如何に異なることであろう。

これに対し中国人は最近の様子からも分かりますが「自国が一番」という考えを強く持っているようです。これにより頑なに他国のものを取り入れないようにした結果、東洋の大国にも拘わらず、日本の方がいち早く欧米列強に並ぶ国となりました。

「自国が一番」という思い、そのものは悪いことではないと思いますが、最近の中国は行きすぎている感があります。それに対して日本は何でも「西洋の物が良い」という観念が太平洋戦争後から蔓延るようになりました。これは明治時代の和魂洋才ではありません。昔から洋学を取り入れても和の魂を忘れないことで新たな日本の文化を気付いてきたのに、魂を蔑ろにしたのでは本末転倒です。

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2008年9月 6日 (土)

「甘えの構造」を読んで⑤

日本人の詫びに対する感受性の高さを示す文章があります。
とても感銘したので、少し長いのですが、抜粋したいと思います。

ラフカディオ・ハーンが「停車場で」
日本人の罪に対する態度を実に見事に書き出していると考えられるからである。

強盗をして一旦捕まった後、巡査を殺して脱走した犯人が再びつかまって熊本に護送されてきたところから恥じます。駅頭に詰めかけた軍中を前にして護送してきた警部が殺された巡査の未亡人を呼び出す。その女の背には小さな男の子が負ぶさっていたが、その子に警部が語りかけて、「これがアンタのお父さんを殺した男ですよ」と告げたのである。すると子供は泣き出し引き続いて犯人が「如何にも見物人の胸を震わせるような悔悛の情極まった声で」次のように語り出した。

「堪忍しておくんなせえ。堪忍しておくなせえ。坊ちゃん、あっしゃあ、何も恨み二組があってやったんじゃねんでござんす。ただもう逃げてえばっかりに、つい怖くなって無我夢中でやった仕事なんで。・・・・・・あっしゃあ坊ちゃんに、なんとも申し訳のねぇ大それたことをしちめえました。ですが、こうやって今、うぬの冒した罪のかどで、こえから死ににいくところでざんす。あっしゃあ死にて円です。喜んで死にます。だから坊ちゃん。・・・・・・どうか可愛そうな野郎だと思いなすって、あっしのこたあ、堪忍してやっておくんなせえまし。お願えでござんす・・・・・・」

やがて警部は犯人を連れて、その場を立ち去ったが、するとそれまで静まりかえっていた群衆が「俄に、しくしくすすり泣きを始め」そればかりが附ぞいの警部の目にも涙が光っていたというのである。

どんな日本人でも、その精神の内の大部分を占めている、我が子に対するこの潜在的な愛情、これに訴えて罪人の悔悛をうながした天に最も深い意義を認めている。ただ今一歩解釈すればこの場合、班員は子供を可愛そうと思うと同時に、自分も実はこの子供と同じく惨めであることを悟ったとはいえないであろうか。彼は謂わば、この際子供と同一化していたのである。

「すまない」という言葉には度々説明したように相手の好意を懇願する意味が含まれている。「申し訳に」といっても同じ事である。それは言い換えれば、甘えられた義理ではないがしかし許して欲しいという意思表示である。

この世に日本では謝罪に妻子相手に対し本質的には用事の如く懇願する態度をとり、しかもそのような態度は常に相手に教官を呼び起こすのである。群衆がすすり泣いたのも、ただ子供のためばかりでなく。悔悛している班員のためでもあったといって過言ではない。むしろ群衆の目には子供も犯人も、この際軍前一体となって移っていたというほうあより性格であろう。なおこの話は明治初年のことである。しかしそれでも尚、同じ様な心理が日本人の内に、働いていると信じられるのである。

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2008年9月 5日 (金)

「甘えの構造」を読んで④

「罪の文化」と「恥の文化」

日本の場合は後者の典型である。西洋人の罪悪感は、もっぱら個人の内部の問題であると考えがちなのに対して、日本人の罪悪感は自分の賊する集団を裏切る事になるのではないかという自覚がある。
これは彼らは古来何世紀もの間、キリスト教によって教化された結果、始め彼らの道徳意識の中でも重要な役割を演じていたものが神にとって代わられ、注いで近世以来この神も蒸発して個人個人の意識だけが問題にされるようになったからであろう。

私は以前からキリスト教の「懺悔」という言葉が、いまいちしっくり来ていませんでした。それは、ただ単に日本人の習慣に懺悔がないからだと思っていましたが、文化の違いがあったのかと、この本を読んで分かりました。つまり西洋人は罪の意識を強く持ちうるが為に、その許しを神に請う「懺悔」をするのだと私は解釈しました。

日本人に罪の許しをとくべくやってきたキリスト教の宣教師(カトリック司祭・ヘルマン・ホイベルス師)が日本人の間には心から詫びれば容易に和解が成立するという事を知って感心しているからである。
罪の文化の重任であるが故に一般にお詫びをしたがらない人種だからである。

これは以外ですが、罪というのが人間の内部で感じるのに対し、恥というのは人間の外面(他人)に向けて感じるのですから日本人は「お詫び」をするのでしょう。欧米は訴訟大国だと言いますが、それはこの文化から来ているのかも知れません。

昨今の風潮では、何かと「訴えてやる!」という欧米的な考え方が持ち上げられていますが、私はそれを良しとは思っていません。裁判というのは基本的にお互いを傷つけ合います。特に民事事件では顕著で例えばアメリカの離婚裁判などでは、どちらが子供の真剣を持つかという時に夫婦が互いの人格攻撃をするのです。これは「自分の方が相手より子供をより良く育てることができる」という主張なのですが、ついこの間まで好きで結婚して夫婦になった人が、こんなに争うよりも話し合いで解決するに越したことはありません。

それに子供は、啀み合っている相手の子供です。両親が争いあって子供に良い影響を与える訳がありません。子供にとって離婚しない方がいいのは言わずもがなですが、もし離婚する事になった場合でも成るべく両者が冷静に別れた方がダメージは少ないと思います。

それに日本人は相手を思いやる心が、とても強い民族です。それ故に素直に謝れば相手の立場も理解した上で許すのです。折角、そういう文化を持っているのに、何でもかんでも裁判沙汰にする風潮は如何なものでしょうか。

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2008年9月 4日 (木)

「甘えの構造」を読んで③

「甘え」という語が日本語に特有なものでありながら、本来、人間一般に共通な心理的現象を表しているという事実は、日本人にとって、この心理が非常に身近なものである事を示すと共に、日本の社会構造も又、この心理が許容するように出来上がっている事を示している。日本の社会構造を理解するための鍵概念ともなるという事ができる。

日本的社会の構造をタテ関係の重視として規定されたが、それはまた「甘えの重視」として来ていることもできるであろう。

この考え方は「なるほど」と頷いてしまいました。日本に顕著なタテ社会は、甘えに対する許容があるから出来たようなものであって、甘えが認識されない西洋では、自然と横社会になるということでしょうか。更に本書では、この甘えの最たる者が天皇制であると書かれています。

従来、漠然と日本精神とか大和魂といわれたり、あるいはもっと具体的に尊皇思想とか天皇制のイデオロギーといわれてりいるものが実は甘えのイデオロギーとして解しうることに確信を持つに至ったのである。天皇は所持万般、もちろん国政に至るまで周囲の物が責任をもって取り仕切ることを期待できる身分である。

要するに日本人は甘えを理想化し甘えの支配する世界をもって新に人間的な世界観としたのであり、それを制度化したものこそ天皇制であったということができる。したがってまた明治以降やかましくなた国体護持の論議は単に支配者階級の政治的便宜の為にだけ発明された物ではなく、以上述べた如き日本人の世界観を外からの外からの圧力にこうして保全したいという意図によって裏打ちされていたと見なければなるまい。

つまり、天皇制が出来るの至ったのは日本独特の「甘え」の感性から自然に発生した組織だと分析しています。皇紀3000年ほどですから、日本人は3000年前から「甘え」の観念があったと考えられるのかもしれません。甘えに代表されるのは親子間ですが、日本人はそれ以外の関係で甘えを用いるとき、それを「義理人情」と呼ぶようです。この義理人情がある関係を日本人は理想と考え、逆にそれがない「遠慮」する関係をよしとしていないのです。

さて、日本人は太平洋戦争で天皇を中心として国民が一致団結しました。つまり、日本人が天皇制を精神的支柱としている事は明かです。

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2008年9月 3日 (水)

「甘えの構造」を読んで②

Please help yourself.

これは著者の土居さんがアメリカに留学していた時に頻繁に耳にした言葉です。「ご自由にお取り下さい」という意味の言葉ですが、直訳すると「御自分を助けなさい」となります。土居さんは、この言葉が「不親切で突き放した」様に響き、なかなか好きになれなかったと書いてあります。日本人ならば、客をもてなすときは主人が相手の痒いところにまで手が届くような配慮をする事が望ましいのに、これでは不慣れな客に対してあまりにも思いやりがない言葉ではないかと思ったそうです。

ここで日本人は依頼に対して肯定的な態度を暗示している事を発見します。つまり西洋人は自立心が強く、自分でやるという事がよしとされています。逆に言うと先にのべたアイスクリームの例のように、他人の隠れた「甘え」を看破する心がなく、相手が「~してほしい」と主張しなければ、自分も行動しないという事になります。

土居氏は、この両者の差は歴史の違いから来ていると説明しています。

「西洋的な自由の観念は歴史的に見て古代ギリシャの自由人と奴隷の区別の発しているようである。即ち自由とは元々奴隷のように強制にされされることが無いと言うことを意味する物である。であればこそ西洋では自由が人間の権利とか尊厳などの観念と結びつきよいもの望ましい物となったのであろう」

つまり奴隷に対して、一般人を意味する言葉が自由人だった訳で、その歴史から自由とは望ましいものであるという観念が西洋にはあるのです。では、東洋ではどうでしょうか。前段の「ご自由にお取り下さい」の「自由」という言葉は、古来は中国語でしたが、日本でも古くから使われています。

「その意味するところは自由気ままという言い方が暗示するように本書で問題としている甘えの願望とはかなり密接な密接にあるといえる。すなわち我が国で従来「自由」というと「甘える自由」即ち「我が儘」を意味したと考えられる」

日本では自由というと個人の意思を優先させる=我が儘と捉えられるケースがあります。集団の意思より個人の意思を尊重させる事は日本では好ましくないからでしょう。

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2008年9月 2日 (火)

「甘えの構造」を読んで①

精神科医の土居健郎氏が書いた「「甘え」の構造 [増補普及版] 」を読みました。この本は昭和46年に発行され、当時ベストセラーに成りました。

土居氏はアメリカに留学した際に、カルチャーショックを受けます。アメリカ人から「あなたはお腹が空いていますか?アイスクリームがあるのですが」と言われ、初対面の相手だったので遠慮して「空いていない」と答えました。土居氏は「もう一度ぐらい勧めてくれるであろう」と「甘え」て居たのですが、相手はその後、勧めてくれる事はありませんでした。

そこから著者は日本人とアメリカ人の心理が、かくも違う事について知的好奇心を持ちました。その後、日本人の日本人たる所以を明らかにしたいと思うようになった頃、日本人の心理に特異的な物があるなら、それは日本語のとくいせいと密接な関係にあるに違いないと考えるようになりました。

そして、どうも日本語の「甘える」という言葉は日本語独特のものらしいと発見します。そして日本人心理の特性は、この事実と深い関係があるに違いないと思い立ち「甘えの構造」を執筆するに至りました。

本書は精神科医の先生が書かれているので、少し難しいところもあるのですが、読んでみると「なるほど、日本人はそうだな」と思い当たる箇所が、いくつもありました。やはり国内にいては気付かないのですが、外からの視点で日本人とは何かに斬り込んでいました。全てを理解できた訳ではないのですが、私が印象になった箇所をピックアップして感想を述べていきたいと思います。

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2008年7月25日 (金)

『風と共に去りぬ』を読んで③

つまり奴隷解放は戦局を有利に進めるための大義名分として使われたのであって、最初から奴隷解放を謳った戦争ではなかった感が強い訳です。

その証拠に南部は敗北すると「再建」と呼ばれる時代が訪れました。北部により奴隷解放宣言がされ、黒人奴隷は自由の身となりました。そして北部は今まで白人しか持ち得なかった投票権を黒人にも与えたのです。当時の北部の人口は約2200万、南部の人口は白人500万、黒人400万ですから、これにより南部の議会に北部の議員が当選しました。州知事は全て北部の人間がなったのです。

そして北部の人は本当に黒人に対して差別を持っていなくて、解放してあげたかったのかというと、そうでないという面があります。小説の中で主人公のスカーレットは戦後、製材書の経営を始めます。そして本心では嫌っている北部の人間とも親しくし取引をするようになりました。その中の北部の夫人が「生まれてこの方、南部にくるまで黒人なんて見たことがなかった。黒人は野蛮人だ」と発言している部分があります。これを聞いたスカーレットは南部人は奴隷として黒人を使っていたものの、家族の一員という認識があったので酷く憤慨しています。

歴史はhe is story=historyですから勝者である北部が浦島太郎。鬼ヶ島の鬼が南部となる訳ですが、必ずしもそうでないというのが風と共に去りぬをよんだ感想です。そして、この小説が名作と呼ばれているのは単なる恋愛小説ではなく時代考証がしっかりとしていて、尚かつスカーレット・オハラの時代に翻弄されながらも強く逞しく生きていく姿が世界の人々の心を捉えているからだと思いました。

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