テレビ批評・感想

2010年5月 3日 (月)

「ETV特集・選裁判員へ~元死刑囚・免田栄の旅~」を見て

昨日、「ETV特集・選 裁判員へ~元死刑囚・免田栄の旅~」を見ました。私が作家を目指す切っ掛けとなったのは、冤罪事件という物に興味があったからです。兎に角、昭和史はミステリアスなのです。この番組では、免田事件・松山事件・財田川事件・兜山事件・袴田事件。そして足利事件を取り扱っていました。

 免田さんにはアリバイがありました。犯行当日と思われる日、29日には旅館に泊まっていました。旅館の女将は最初は「28日か29日と思う」と言ったところ、刑事から「いや30日じゃなかったですか」と言われました。だから、30日じゃなかったですかと言われれば30日ですと、向こうが言う通りにいいました。この女将さんが「30日だと思わない。28日か29日です」と言えば、免田さんは死刑囚にならなかったのです。つまり、誘導尋問に引っ掛かっています。

 知的障害者の女の子の園児が殺された事件では、女性職員が犯人とされました。是が兜山事件です。一度、不起訴になるのですが、2年後再び逮捕されました。施設にいた子供の目撃証言によるものでした。しかし、弁護士はその証言の余りのリアルさに驚きます。6年前の出来事を昨日か今日体験したかのように話すからです。通常、私を始め、これをお読みになっている皆さんも、6年も前のことをリアルに思い出せるでしょうか。そこで、公判で弁護士が証言台に立った少年に対し、
「加納のおっちゃん(検事)がね。君の話を聞いているときに、それ違うんじゃないかって言われたんじゃないですか」
「はい」
「そう言うとき君はどういうの」
「言い直してます」
「初めのうちは言い直して訂正することもあったんですか」
「はい」
「それが段々うまくなってきたわけね」
「はい」
つまり、少年はまるで監督に指示されたように演技者になっていたことが明らかになり、これにより、女性職員の無罪が1999年に確定されました。事件が1974年ですから、冤罪を晴らすために25年もかかりました。どれもこれも、当事者が仮に私だったとしても皆さんであったとしても、最初から犯人だと決め付けられてしまうと、相手が偏見をもっているので、覆すことができる物ではありません。しかもその偏見を持った者が、刑事であったり検察であったら尚更のことです。彼らは権力者なのですから。冤罪は特殊で私の人生に無縁と思っているかもしれませんが、そう決め付けられないと思います。以前、地震の被害にあった女性の言葉が心に残っています。その女性は、「テレビで地震にあった人の話を聴いていると、気の毒とは思っても、自分には関係ないと思っていた。でも、実際にあってみると、語る以上に大変でなってみなければ分からない。なってみなければ分からない」とカメラに向かって言っていました。

 免田さんの活動の目的は裁判員制度が施行され、裁判員は被害者の立場に立ってしまうことから、新たなる冤罪を招いてしまうのではという危惧でした。免田さんと菅谷さんとの語り合いの中で、検察官も裁判官も謝罪をしたが儀礼的なもので本心では、そんなことを思っていないという印象を受けているようです。免田さんは34年半、獄中にいました。朝、数人の刑務官が死刑執行される人の房の前に立つので自分の房の前を通るとビクビクしたそうです。

  免田さんは同じ冤罪の苦しみを味わった齊藤さんの墓地に行き「よく頑張ったね」と声を掛けました。その齊藤さんが晩年になって知り合った家族の家にも行きました。その家の方から「齊藤さんは病院で清掃の仕事をしていたが腰を痛めて働けなくなると生活を追い詰められた。夜は電気真っ暗」という話をききました。高齢になったにも拘わらず、年金の受給がでありません。何しろ、保険料の支払い期間に獄中に居たからです。

私は帝銀事件の死刑囚・平沢貞道さんを調べたことがありますが、どう考えてみても冤罪です。だから18人もの法務大臣は誰一人死刑執行をしませんでした。平沢さんは「我瞑目せず」と言う言葉を残しています。この世に生まれ一人も殺していないのに、新犯人はどこかで笑っている。しかし、自分は生き地獄の中にあります。正に「我瞑目せず」という心境でしょう。95歳以上で亡くなったと思いますが、朝8時半から9時頃までは、自分の独房の前にその足音が止まったときが死の宣告の時です。毎朝、死の宣告を受ける身と心臓の行き詰まるような思いを50年近くも毎日繰り広げられたことになります。

番組中盤で免田さんと菅谷さんが話し合い、その後、カラオケに行って歌っている様子が映っていました。菅谷さんは橋由起夫の「潮来笠」を歌いました。これが実に美声なんです。今の歳でここまで聞かせるなら、若い時に歌手になっていれば良かったほどの美声です。

その菅谷さんを犯人ではないという真実に最初に気が付いたのが、幼稚園の送迎バスの運転手をしていた同僚の女性・西巻糸子さんです。西巻さんは、菅谷さんが捕まった後、仲間とともに事件現場を歩きました。そして、「警察は河川敷のコンクリート付近で殺害し遺体を葦の茂みに捨てたと言っているが、当時、その付近は山で、その山は凄く痛い棘の草や茨がいっぱいあるので、ものすごく歩きづらかった。そこで殺害すれば、真っ黒な中で遺体を運んだことになる。とてもじゃないが無理。

現地にいけば直ぐ分かる。警察は現地調査をしていない」と言っていました。菅谷さんが捕まった後も、菅谷さんが犯人だとは信じられずに手紙とお金を送ったところ、菅谷さんから関与してくれるなと言ってお金が返金されてきました。しかし、その後で、孤独感に苛まれた菅谷さんから切々と訴える文章が届いたとのこと、矢張り、同僚は職業を通してその人の人間性を知っていますから菅谷さんが犯人だとは当初より疑いの目を向けていましたし、納得できなかったのでしょう。
菅谷さんの場合、DNAで犯人にされましたが、その後進んだDNAによって犯人でないことが分かりました。しかし、それ以前になるとかなり多くの人が冤罪によって逝っていることが明らかだと思います。一つ一つ調べていくと当人の心境になった場合、いくら言っても聞いてくれず自暴自棄になってしまう事でしょう。このことは、他山の石とは言えません。満員電車で痴漢扱いされ、一生を棒に振っている人が居ると聴きます。

 人間の思いこみがこれ程酷いのかなと思うことは、例えば私がブログで自分の意見を言い、分からない事は質問サイトに聞くと、上から目線で言い、私の思想を問題にする人がいますが、私は今年新成人で思想的なことは教わって居ませんが、教科書を思いおこすと、巧みに共産主義を植え付けられていたと言うことが立証できます。そうした物を単にブログに書いているだけで、それを持って思想的なものだとはならないと思います。しかし、読者には思いこみの激しい人が居て、そう言う人に限って自分の実体を明らかにしないという傾向があります。つまり、冤罪の加害者にはならないと決め付けているのですが、自信を持って言える人がどれだけ居るのか、更に言えば、裁判員制度で私が居れば仮に冤罪社がいたとしても、その真相を曝きだして冤罪者を救ってみせると言える人がいるのでしょうか。むしろ、荷が重いとか、そこまで一般の国民に求めるのはどうかとか。しかし、誰が今の司法制度は間違っているので裁判員制度を遣って欲しいと言ったのでしょうか。郵便局は民営化してもらわないと困ると言った人が居たのでしょうか。そこまで考えて発言している人が居るのでしょうか。
また、私が質問サイトで質問すると、もっと勉強して下さいと言う人が居ます。しかし、明らかに私よりも勉強していない人がそう決め付けていたり、間違ったことを平気で書いている人が居ます。しかも、こちらの質問には何も答えていません。人間とはかくも自分が正しく思いこみが激しいのかとその都度関心させられます。

例えば国民主権という世の中なので、マスコミは国民を煽てますが、勤める会社の社会問題を曝く社員がどれだけ居るでしょうか。子どもの学校の先生の実体を分かる人が居るでしょうか。自分の身近なことさえ分からないのに、政界の中枢で決まっていることに対して○か×か分かる人が居ると思っていません。

果たしてそこまで考えて1票を投じた人がいるのか、自分が票を投じた人のその後を追って、正しい1票を入れたと言える人がいるのでしょうか。これが国民主権なのです。

全ての結末の時点から何故気が付かなかった。そんな思い込みをしたのかという捌き方は楽ですが、実際にその当事者達は私を含めて経緯の中で生きています。その経緯の中で100%正しい目を養うことは無理だと諦めて、しかし100点を取るよう、最善を尽くすしかないと思っています。 

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2009年10月24日 (土)

不毛地帯②

下記のようなコメントを頂きました。

>ナワ~ルド@峠おやじさん

はじめまして。
若いのに勉強家だなあといつも感心して拝見してます。
特に因・縁・果の見方は素晴らしいと思います。

さて、「不毛地帯」のドラマ、私も見てました。倒れた男の食器に周りのものが一目散に飛びかかったシーンにリアル感がないという指摘でしたけれど、私は逆にリアル感がありました。

といいますのも、不特定多数の人が集うレストランなどでの出来事だったらリアル感は全くないでしょう。しかしいつも同じようなメンバーがいる強制収容所内すなわち、顔見知り、仲間内の出来事であるからこそリアル感があるのです。

私が大学のときのクラブでは合宿などやりますと、食べ初めて5秒ほどでご飯のお代わりに走る者が続出していました。おかずは自分の前にあるだけなのですが、ご飯はお代わり自由。つまり腹一杯食べようと思うと早い者勝ちだったのです。

お櫃の前に並ぶのが遅れると順番待ちに時間がとられ、さらに食べる量が減るということになるので、早飯にもなります。何も知らなかった新人もそういう環境にいるとだんだん染まっていきます。

ですから強制収容所という閉鎖空間にいる者たちの中では倒れた者の食糧は早い者勝ちという弱肉強食的な環境になったのではないでしょうか?

私は読んだことがないので、原作ではどう表現されていたかはわかりません。

 私も原作は読んでいないので、あくまでドラマの演出についてだけ述べたいと思います。

 今、日本に住んでいる殆どの人は「空腹」は知っていても「飢餓」は知らないと思います。私も、その一人です。「その時代の事は、その時代の人でないと分からない」これが私のポリシーです。つまり飢餓を知らない私達の視点で、その時代を捉えてはいけないと思っています。

 峠おやじさんは部活の合宿を例に挙げられていました。私もスキー教室に行ったときに、男子が炊飯器に一目散に駆け寄ってものの10分もしないうちに空になった現場を目撃しているので、その様子は分かります。ただ、それは「空腹」状態であって飢餓状態ではないと私は思っています。

 私の体験から言うと、一回だけ飢餓状態に陥った事があります。夏の盛りに昼を抜いて歩いていると突然動けなくなってしまいました。全く力が入らない状態です。意識も少し朦朧として、思わず蹲ってしまいました。つまり、 飢餓状態です。零下40度の極寒の収容所に入れられ、1日10時間労働。食事は2回で黒パンと腐ったキャベツのスープのみという過酷な環境に置かれて、倒れた他人の食べ物に突進していくような機敏な行動が取れるかと考えたとき、私はあり得ないと思いました。

 もっと言うと、食事の途中で死ぬという事は医学的な事は分かりませんが、実際にはあり得ない事ではないのかなと思っています。つまり、食事という生きる活力を取り入れているときに死ぬというのが矛盾しているような気がします。閑話休題。

 よって、私にとっては、あのシーンはリアルとは言えず、代案をあげるとすれば、食事中に男が倒れる。一瞬、その周りの人の動きが止まる。すると、倒れた男の隣に座っていた男の手が伸びて、食べ物を横取りして自分の皿に入れてしまう。それを見た周りの男達は「この野郎!」という思いから鋭い目でぎろっと睨む。そちらの方が極限状態に於いての人間の本性がさらけ出されているように感じます。

 ただ、不毛地帯はドキュメンタリーではなくドラマですからフィクション [fiction] ですし、エンターテイメントですから演出するのは当然とも言えます。勿論、峠おやじさんのようにリアルに感じる方もいらっしゃると思うので、これは感受性の問題だとも言えますね。そういう点で私は、ノンフィクション型なのか演出だとしてもリアルではないなと思ってしまうところがあります。

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2009年6月22日 (月)

私の感じる大河ドラマ

 私はNHKの大河を見ません。ちらっと見ることはありますが、毎週欠かさず見たりはしていません。特に理由がありませんが、敢えて言えば、一年間ヒーロー、ヒロインを好人物として描くには、敵を構築しなければならない必要性があります。

 特に、資料の少ない人の場合は、そうしないと1年間ドラマが成立しません。以前の大河は、かなり史実に基づいて構成されていたようです。中でも、戦国時代の信長、秀吉、家康は定番で、これだけ多角的に描かれると、信長自身の人生は49年でも、まるで300年くらい生きたような解釈が出来てきます。

 私が初めてテレビで見た忠臣蔵は、キムタクが堀部安兵衛を演じたものでした。その時は、佐藤浩市さんが大石内蔵助で、大石がまるで普通の人でした。最初に刻まれた印象が、基本になります。民法なら、それも致し方ないかもしれませんが、NHK、そして大河というからには、やはり史実を中心にして欲しいと思います。

 昔の日本に今の愛という概念はありませんでした。しかし、愛を強調されると、現代の愛を貫いた最初の人となり、そのうち、「戦国大名の中で愛を貫いた人と言えば?」というクイズに「直江兼嗣」という答えでピンポンになる可能性さえあります。

 しかし、昨日は友人が来て、毎回楽しみにみているというので付き合ったのですが、驚きました。真田幸村と直江兼嗣、直江兼嗣と石田三成がまるで、共に甲子園を目指した高校球児のように描かれ、秀吉が、直江兼嗣を女に対するような扱いをしていたからです。

 世が乱世で、軍師が必要である時期に、黒田官兵衛、竹中半兵衛という知略の人が居たから、秀吉があったという解釈の信憑性は認めますが、天下布武が浸透し、日本の株式市場の7割から8割を独占していた信長の後をつぎ、家康を江戸に送った時点で、秀吉は100%近く買い占めた状況でした。

 この頃になると、千利休が良い例で、秀吉に従わざるものは殺される運命にありました。正に、酒と金と女に入り浸った時代でした。この頃になると、秀吉に恐惶して苦言を呈する人はいませんでした。

 それで、秀吉は、諂ってくる者には、褒美を与えました。大名が欲しいのは領地です。しかし無い袖は振れません。それで朝鮮出兵、朝鮮を領土にして、功績ある大名に分け与えていけば、明国も手中に収められると考え出していたころです。

 一人の大名の家臣に現を抜かさずとも、人材はいくらでも向こうからやってきました。直江対秀吉、次が直江対家康としていく筋書なのでしょうが、それでは読み物ではないのかと。まぁ、様々にご意見はあるでしょうが、私のブログなので私が感じている事を書きました。

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2009年6月11日 (木)

<徹子の部屋を見て③>

 さて、組織のリーダーに求められる資質は観察しての判断力、洞察して決断力。これらを総合しての精神力だと思います。宴会部長が、上司をこき下ろすのは面白いことですが、その人が社長にもなるということになったら不安です。

 総理にしたいタレントとなると、お笑いタレントが上位を独占することに危惧を感じます。今でも、辞めていく小泉さんは人気があって、総理になって欲しい人にランクされます。しかし、『因・縁・果』を書くネットの社会では、そうではありません。

 刺客選挙(郵政民営化)のその後、日本は良くなったのかといば、それは否。

 そもそも、当時から抜本的な問題として年金を招致していての郵政問題に正当性があったのか? それも否。

 裁判員制度も郵政民営化も、国民の誰がそれを望んだのか? 誰も居ない。裁判員制度も小泉さんが奨めた政策でした。

 ブッシュ政権8年、小泉政権5年3ヶ月の功罪。この二人の真の評価を書くとなると、良かった点が見いだせません。しかし、テレビメディアには『因・縁・果』の法則が通用しません。国民に圧倒的支持を受けて小泉さんは当選した。「正しかった。だから、票が取れた」となります。

 しかし、そうであれば田中角栄さんの列島改造も、国民が熱狂的に支持したのですから、正しかった事になり、それ以前の太平洋戦争も、官民、マスコミ、国民も一体となってこれを支持したのですから、正しかったが敗北したということになります。

 「その時、良かったから、正しかった」という論理は成り立ちません。つまり、国民はむしろ間違った方に票を投じる傾向があるという事が、統計的には立証されます。

 世襲議員も然りで、橋本 小渕 森 小泉 福田 麻生さん。みんなサラブレッドです。森さんは違うという意見もありますが、議員の家系には違いなく、それは歌舞伎でいえば、分家のようなもので名門ではないという程度のものです。

 日本人のメンタルティーは、他国よりずっと上を重んじる家系を重んじる国民です。現在の世襲の問題は、余りにも駄目であるという反動です。麻生さんVS鳩山さんも東のサラブレッド、西のサラブレッド対決。小泉さんの出生は田中真紀子さんという田中角栄のお嬢様の反乱が原点です。お仲間内閣、骨肉の政変劇とも言うべき傾向にあります。

 さて、話の元は黒柳徹子さんでした。実に短いコメントですが、常に自分に言い聞かせているのか質問されたときに、実にスムーズにポリシーを言いました。そう言う点では
小泉さんのワンフレーズ・ポリティクスは、耳朶にのこっていて、「構造改革なくして景気浮揚なし」は大ハズレであったことは明白です。

 それでは、構造改革がいけなかったのか。そうではなく、小泉さんが名工の頭領ではなかったということです。郵政民営化よりも裁判員制度よりも、地道でアピール力はなくても、なすべきは年金問題でした。郵政より年金を民営化するべきでした。

 大黒柱を活かすために、まず、どこから手を入れるか。これを最初から間違えていたという事になります。その道のプロの最たる人が甲子園に集い、プロ野球を経てメジャーに行くから、偉大になります。甲子園を目指す若者が殆ど二世、三世になったら、メジャーに行く人は一人も居なくなるのではないでしょうか。

 そもそも、人気と実力は、反比例している事の方が殆どです。昨今、芸能界も二世タレントが花盛りです。ズブの素人より破格な扱いですが、3年で自然淘汰されます。しかし、議員は違います。

 中川さんの酔っぱらい問題。鴻池さんの女性問題、今の時期に余りの低次元な問題のオンパレード。その地位になって始めて人となりが出ます。森田健作さんが「議員の時に、ナンボのものであったか」と皮肉をいった人がいましたが、早速、アクアラインの問題に着手しました。

 それに対し、その前の知事は何の発想もありませんでした。橋下府知事の問題の影には、それ以前の県政の太田という女性知事の無能があって、しかし退職金は一億近いとか。選挙カーに乗って連日、誰も頼まないのに「善政を施す」と約束した無能な人が問題になるような報道をして欲しいものです。

 嘗て、美濃部という東京都知事は、一人でも反対があったら何もしないといい、その後遺症で財政悪化。東京都は財政再建団体入り間近でした。美濃部さんは福祉に重点を置きましたが、それは黒字の中で奨めるのがプロです。青島さんも都知事になりましが、いっこうに赤字経営から脱却することは出来ませんでした。

 マスコミは、今ばかりを捉えすぎます。今は昨日があって一昨日があったから現在があるのですから、辞めたら良いというものではありません。まして政治家ともなれば、評価はその時ではなく、辞めてから評価すべき文化を構築すべきだと思っています。

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<徹子の部屋を見て②>

 太田さんという人は、相手がウイルスの権威であっても、医道の権威でも、全て切り口が漫才です。私のブログではお笑いを取り上げる事がありますが、それは主食ではなく、経済番組がネタがないときにホテル、旅館業界をストックしていて放映するような、謂わば、Coffee break(コーヒーブレイク)です。

 如何に視聴率優先であっても、天下のNHK教養番組が、主食と嗜好品を取り違えてはならないと思います。ゲストは黒柳さんの番組に、もう一度出たいと思うでしょうが、爆笑問題の番組にもう一度でたいと思う人は少ないと思います。実際、随分憮然とした表情のゲストが多くいました。

 例えば、京都大学までいって、その道の権威のある教授に
「もしかすると、天が回っているかもしてない?」と言い、

「それはない」と言った教授に
「どうして、分からないでしょう、地球が回っているときめつけているだけで」と怯みません。その内、学生から拍手が起きてくる始末。すると、教授が、これに迎合して
「もしかすると、そうかもしらない」という有り様でした。

 私は権威だからといって、全て鵜呑みにする事をよしとはしませんが、これには見た時は開いた口が塞がりませんでした。以前、「日本の文化は躓きそうに歩いていて居ると、『そこは、危ないですよ』と周りに知られないように教える文化だった。今は躓きそうになると、立ち止まり、みんなに知らせて、その通り躓くと、指をさして笑い転げる文化だ」と聞きましたが、将に、その現象が如実に表れています。

 自分の妻には為すがまま、頭の上がらない男が、総理を務めた人をテレビで扱き下ろす。どうやら、漫才こそラグジュアリー(高級品)だとおもっているから、歌舞伎とか落語とかを馬鹿にしているようです。

 グレシャムは「悪貨は良貨を駆逐する」と言いましたが、今は転じて「悪化が良化を駆逐する」といった現象が起きています。お笑いブームは不況の裏付けだと言われていますが、不況が長すぎるので、お笑いブームがいっこうに下火になりません。

 すると、社会現象として、お笑いタレントを目差す人が増えます。所謂、地盤・看板・鞄のない人は、司法試験を取って弁護士からの転身、タレント二の線からの変身、或いは三の線からの変身となります。

 そのまんま東から「東国原宮崎県知事」への転身は、これに拍車を掛けたようです。つまり、お笑いタレントが政治を語る文化が定着しつつあります。タレントの伊藤四朗さんと三宅祐司さんが、雛壇芸人、一発ギャグの反射能力のような答えだけで売れる時代となり、芸よりトークの方が金になるとする風潮のなか、軽演劇を舞台で見せる事に力を注いでいます。

 舞台ではビギナーズラックのような瞬間芸や短いトークだけでは通用しないそうです。勉学を積んだ人は、往々にして決まり切っている事をいうには長けていますが、ハプニング的、つまり、その場でリアルな受け答えをすることには長けていません。

 反対に反射的な閃きトークを得意とする人は、古典が出来ません。初代・林家三平さんは、古典が出来ず、人知れず悩んでいたとか。横田庄一さんが、18年間もグァムでジャングルでの生活をして帰ってきたとき、その苦労を知って、再度、古典落語に挑戦しましたがものになりませんでした。

 今ならフリートーク全盛なので悩むことはなかったでしょう。その点、本来、落語家志望だった明石家さんまさんは時代に助けられ、フリートークの名手になりました。一方で、決まり切った古典に自分なりの味付けをする落語の世界では昭和の爆笑王の三平さんのように出来なかったと思われます。ハプニング、タイムリーな閃きトークは、勉学人よりも不得意な人に多く見られる傾向です。

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<徹子の部屋を見て①>

 昨日のゲストは千野志麻さんという人でした。

 以前はフジテレビの女子アナだったそうですが、私は知りませんでした。彼女が黒柳さんに質問をしていたのですが、それに興味を惹かれました。

「黒柳さんのポリシーに関わることで、好きな人も、嫌いな人もいるでしょうし、興味のない話題もあるだろけど、視聴者にそれを感じさせないコツは何か」と聞かれると、黒柳さんは、「番組担当者が下調べして資料と担当者とは緊密に話し合い、時間内に聴き出す事を決めて、そして何よりもゲストを尊敬して、親しくても改めて新鮮な思いで話すようにしている」と心構えをいっていました。

 そして興味がある、ないに関わらず、同じテンションで同じ興味を持つ事。知って居る人でも、始めて会うような気持ちで臨むこと。好き嫌いはない。それよりも知りたいという興味の方が強く、それがなくなった時は止めるときかも、と言っていました。一言で言えば、一期一会の精神に徹しているという事になります。

 私は得心しました。私も同じ事を知りたかったのです。千野さんは、個人的にも聞いて見たかったのでしょうが、ゲストとして出ていても、プロ意識で視聴者が聞いて欲しい話題をきき出しているのだなと思いました。

 それに黒柳さんが応え、そして黒柳さんは、「質問されたから言う」という謙虚なプロ意識の自尊心を語れたからか、至極満足そうに見えました。これこそが会話の妙味というものだと思っています。

 徹子の部屋は、1976年2月にスタートしました。私が産まれる13年以上も前から放送されている長寿番組です。当然リピーターが居る訳ですが、ゲストも徹子の部屋に出ることをステータスとしている以上に出ることを心待ちしているようです。

 同時間にNHKではスタジオパークで、やはり、同じようにゲストを迎えて生でやっているので、ポリシーなき司会では、視聴率が奪われるところですが、此処まで続くと老舗プランドの感があって安定しているようです。

 その対比といっては何ですが、NHKで放映している「ニッポンの教養」という番組の爆笑問題の司会振りに私は憤りを覚えています。それで、ビデオにとって太田光さんのところは全てカットして見るようにしています。

 以前、NHKに実名で少し酷すぎるのではとメールしたこともあります。テレビでは、お笑い芸人と最早お笑い議員かと思うほど、視聴率が取れるせいもあって花盛りです。そして、本当に日夜、考え続けている人物との出会いは滅多にありません。

 私は哲学というものに少し、興味があります。具体的に言えば、宗教と哲学と思想家の違いが判然としません。釈迦はインドの聖人ですが。何故、御本家のインドではカースト制度でヒンズー教が主流なのか。仏教はインドより中国、そして日本人などは神道が国の宗教なのに、仏教と神道の違いも分からないほどです。

 現に廃仏毀釈の時代、僧侶がいきなり神官になるという本末転倒までやっています。一方、中国では老子、孟子、孔子、君子、荀子、そして孫子というほどの傑物を産んでおきながら、どうして、それらは宗教にならなかったのか。哲学と儒教とは違うと言うのか。イスラーム教の預言者はムハンマドですが、それでは絶対唯一の神・アッラーという人格はどこからうまれたのか。等々、知りたいことが山積みです。 

 そんなとき、この「ニッポンの教養」で、哲学の大家をゲストに迎えていました。そして、興味深く聞いていて分かりかけたとき、太田さんが当初から哲学に興味が無く、下調べもせずに、哲学を漫才で論じ始めたので、訳が解らなくなってしまいました。

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2009年4月17日 (金)

偏向報道なのか? NHKスペシャル④

 北朝鮮は6か国協議に出ないと言い出しています。議長声明という法的な縛りがない国連の意見書が面白くないという訳です。朝鮮中央テレビではチマチョゴリのご婦人が「なんとか、かんとか すみだ」って、また凄い剣幕で怒っています。

 冬ソナのときは、「韓国語って、柔らかい言葉だな」と思った事がありましたが、北朝鮮のを聞くと、「何でこんなに怒って居るんだろう?」と思うから不思議です。

 まあ、ごねれば金が積まれると思っているんでしょうが、果たしてどうでしょう。金があるときは、金で解決しますが、今はどの国もありませんし、苛々しています。今の状況だと、どこかの首脳が金で解決するかなんていったら、国民が怒るでしょうね。クラスで言えば、みんなが真剣に話し合って、「貧乏だけど、みんなでハイキングでもいって景気つけるか」ってときに、ハイキング代もださずに、しけた花火パンパン打ち上げて、チェーン振り回して、ガムかんで横柄な態度をとっているんですから。

 その男の手法は、銃とパーティー券と覚醒剤(北朝鮮の三大輸出物はミサイル・偽札・覚醒剤)だそうですから、馬鹿やってるんじゃないよ、といいたくなるところです。それにしても、恐喝、慟哭されている日の本太郎君に同情してくれる素振りの友人はいるんですが、案外冷たいもんですね。

 今の日本人に必要なのは「元気・根気・勇気」の元気だと思っています。
それなのに、日本の国営放送であるNHKは、どうして国民が元気が出なくなるような番組を作ったのでしょうか。受信料を払う変わりに「世間に迎合する番組造りはしない」
という大義名分がある筈ですが、どうも腑に落ちません。

 大体、日本以外の国は、自国の隠したい歴史は故意にヒタ隠す傾向にありますが
日本だけは違います。わざわざといって良いほど、日本の良い面を隠して、悪い面だけをクローズアップし、更に自虐史観を強くする番組を作ります。

 もし私だったら、こんな感じの番組にします。第二次大戦の引き金は、1929年10月24日木曜日、ブラックサースディ、所謂『暗黒の木曜日』のニューヨーク市場株価大暴落に始まったことから世界大恐慌となりました。しかし、戦争が終わったら、アメリカがイチバン儲けていました。だから戦争しても儲からないとは嘘です。当時のソ連なんか日本が戦争に負けた事が決定してから日ソ不可侵条約を守らず、シベリアから南下して樺太千島と世界三大漁業の一つの漁場を奪っていきました。

 麻生さんが、無い袖ふって15兆円の経済対策ですから、40倍としたって150兆です。しかしソ連は一円もおいていくどころか、樺太で生活していた日本人は現在の葛飾区民と同じ40万を追い出し、婦女を陵辱し、その少し前には満州の日本兵をシベリアに強制収監し犬に与えるような食糧で60万人も強制労働させました。

 こういう事、学校で教えてますか。それを教えていれば、『ソ連祖国』なんて全共闘世代は言わなかったでしょう。実は「あしたのジョー」達も、何も真実を知らされていなかったのではないでしょうか。渡世には渡世の掟がありますが、日本はソ連の悪行悪事を隠し通さなければならない義理でもあったのでしょうか?としますね。

 ところが、そういう番組が作れないから、300枚の原稿用紙にしているんですが、結構大変なんです。

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偏向報道なのか? NHKスペシャル③

 今月中に投稿する原稿用紙300枚に悪戦苦闘しています。漸く、メドがついたのですが、50枚ほどオーバーしてしまいました。だいたい私の場合、大幅にオーバーする傾向にあります。漸く、20枚削りましたが、ダイエットに似ていて、結構大変です。

 特に苦心している部分があります。
全共闘世代は、日米安保反対でした。『ソ連(ロシア)祖国、中共(中国)祖国』
といい、よど号をハイジャックして、北朝鮮に亡命すると、「我々は『あしたのジョー』だ!」といったとか。

 当時、任侠映画で高倉健さんが、「あんさんに恨み辛みみはござんせんが、渡世の義理、死んでいただきます」というと、映画の客席から「異議なし!」という声がかかったそうです。スクリーンの中の健さんがヒーローの様に見えたのでしょう。兎に角、彼らの世代は熱く燃えていた事が分かります。

 しかし、私たちの世代は違います。韓国では狂牛病の恐れのあるアメリカ牛輸入問題で、昨年は李明博(イ・ミョンバク)大統領政権が、崖ぷっちまで追い込まれました。対して、日本では何もおきません。

 私の論評で行くと、戦前の日本の男は虎でした。何しろ、巨像軍団の英米ソを敵に回すんですから、大虎も大虎なのですが、困った虎でした。

 ところが、敗戦。その後は180度転換して借りてきた猫、いや借りてきたポチ。流石に終戦直後は仕方ないかもしれませんが、国力もつき、経済大国2位にまでなって、少しはアメリカに物申しても平気な環境になっても、未だにポチのままです。

 これが反対だったら、日本はどんなによかったでしょう。

 つまり戦前に、アメリカのポチになってでも力を蓄えていれば、アジア諸国が反日教育を施される事はありませんでした。

 大体、日本国政府が創設した今で云う未来予測研究所とも言うべき『総力戦研究所』が出した結論。それは昭和16年夏、「如何に戦っても、日本がアメリカに勝つ見込みはない」というものでした。

 日本国の当時のシンクタンクが「絶対に勝てない」と出しているのに、どうして戦争するの?と言うわけです。当時の子供達は、どうも勝てそうにないと知っていた節がありますし、伝説の男・ガッツ石松さんが書いた本の中での書き出しは確か、「俺が産まれたのは、日本が梅干し一個にもならない戦争をして負けた後だった」というような件から入っていた記憶があります。

 今でさえ、巨大で巨悪で、しかし民主主義だというアメリカに正攻法では勝てそうもありません。こんな無謀な戦いを挑んでいった上層部。私が先に記した世界最弱の軍隊とは「日本人の将軍、日本人の参謀」という論理は、これで証明されると思います。

 さて、今、話題のNHKですが、実は、戦前NHKに限らず、大部分の新聞社、ラジオ(テレビは、まだありませんから)は戦争キャンペーンをしました。何故かというと、「開戦やむなし」と書くと、新聞が売れて、「いけない」というと新聞はサッパリ売れなかったからです。

 しかし新聞社やラジオ局から、裁かれた人はいません。これは自虐史観を植え付け、全共闘世代をつくった日教組が、その咎を受けないのと同じ事だと思っています。

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2009年4月16日 (木)

田母神さんの講演

 いすけ屋さんのブログにもコメントしたのですが、チャンネル桜で、田母神さんの講演会の動画がアップロードされていました。

 田母神さんと言えば、航空幕僚長でしたが、、アパグループ主催の第1回真の近現代史観」懸賞論文「日本は侵略国家であったのか」が最優秀藤誠志賞を受賞し、幕僚長を更迭されて話題になった人でした。

 その後、テレビでも偶に見かける事がありましたが、講演会をしている事は知りませんでした。私も、これから視聴してみたいと思います。

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偏向報道なのか? NHKスペシャル②

 アメリカドラマの刑事コロンボの傑作で「意識の下の映像」という作品があります。

 この事件では、「サブリミナル効果」という「潜在意識」を利用して殺人事件を敢行します。例えば、WBCの中継番組で、意識的にコマーシャルの中に、ベースボールグッズのコマーシャルを入れると売れ行きが伸びる事がありますが、野球と関連しないもの、例えば、衣料品のCMを入れてもあまり変わりません。

 そこで、番組と関連のあるCMを打ちます。しかし悪質なのは、CM中に、ほんの数秒、肉眼では気が付かないほどのカットで繰り替えし挿入すると、目は覚えていないのに脳が覚えていて、反応してしまいます。つまり、これが意識の下の映像です。(意識の下の映像 08/6/10)

 ドラマの中では、このサブリミナル効果が如何に人の行動に影響を与えるかが分かります。

 私はNHKの問題の番組を視聴しました。内容に対しては、格別に違和感はありませんでしたが、オープニングには違和感を感じました。でも、それは言葉では上手く説明できません。ただ、制作者側の意図を感じました。

 思うに、NHKに入る人は勉学の出来る人です。彼らも又、自虐史観教育の教科書と、それを説明する教師に意識の下の記憶として刷り込まれた事があるのではないでしょうか。

 以前も書きましたが、小学校5年の時の歴史の時間に思い出があります。

 歴史教科書で、日本が近隣諸国に迷惑を掛け、原住民の人達は強制的に日本語を学ばされたので、お年寄りは日本語話せるという件に差し掛かった時でした。みんな下を向いて、いつもなら和気藹々として授業が進む中、沈黙が流れていました。

 しかし私はこの時、疑問を感じました。そんなに強制された忌々しい日本語なら、何故、何十年もたった今でも覚えているのでしょうか。「お前は、頭が悪い。強制だったからだ」と言われる事を前提にして言うと、確かに人間の頭ですから、一度覚えたものを、パソコンのように簡単にデリートは出来ません。

 しかし、人種、国境、性別に関わりなく、人間が記憶している事は「楽しい思い出が6、悲しい思い出が3、どちらでもないが1」という研究結果を名古屋大学の齊藤教授が出しています。

 つまり人間の脳は、明日という字が明るい日と書くように、嫌な思い出を消去しています。その例として、戦争を描こうと映画監督が現地に取材にいったりすると、余りの悲惨な体験であるが故に忘れてしまっているケースが多くあります。

 嘗て、イギリスは中国人にアヘンを売って、中国国内は大変なことになりました。その点、日本は江戸幕府の末期にも、公武合体の証として、天皇の妹の皇女和宮が徳川に嫁いだように、満州王国にせよ、1910年の日韓併合の時にも、皇室から妃を嫁がせています。お二人の女性の意志は、そこにありません。所謂、政略結婚です。

 最近では余り言われませんが、嘗ては五族協和⇒ 満州 支那 日本 朝鮮 蒙古共和の融和から、大東亜共栄圏を考えて大東亜戦争と呼称していました。しかし、ご存知のように、太平洋戦争と名前を替えたので、当時の人の想いが分からないようになって来ています。

 NHKに出てきた台湾の老人は、終戦中に教わった教育勅語まで暗唱できました。日本で言えば、子曰く(しのたまわく)⇒巧言令色鮮し仁。(こうげんれいしょくすくなしじん)から始まる、論語をスラスラと暗唱出来る事になります。戦後から、もう64年も過ぎているのにです。

 皆さん、考えてみてください。私達は中学生から英語を教わりましたが、今、英語でペラペラと話せますか?学校を卒業してから、全く英語を使わないのにです。勿論、個人差はあると思いますが、台湾の老人の様に、それを母国語としている人と対等に話せる人は少ないと思います。

 ピラミッドは昔、鞭を振るって強制的に作らされたというのが定説でしたが、近年では、現代の公共事業だという事が定説に変わりました。植民地にして搾取する方が、統合して教育から全て日本式にする方が、かなりの経済負担です。しかし、日本は欧米諸国と違って、今も尚、反日教育で鬼とされています。

 アメリカの場合はインディアンを200万に虐殺し、1000万の黒人を奴隷にして民主国家です。アメリカは戦略・戦術国家、日本は良く言えば、正直。悪く言えば正直者が馬鹿を見る国家という感がします。

  • 『世界最強の軍隊とはアメリカ人の将軍ドイツ人の参謀、日本人の兵隊』
  • 『世界最低の軍隊とは中国人の将軍 日本人の参謀イタリア人の兵隊』

というのが定説ですが  私は『世界最低の軍隊とは日本人の将軍 日本人の参謀 イタリア人の兵隊』だと思っています。

http://www.youtube.com/user/SakuraSoTV <チャンネル桜>

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