私感

2009年5月16日 (土)

<マンガは今や一大産業>

マンガは、以前、大人達から白眼視され、手塚治虫さんも、辛い目にあわされてきました。手塚漫画は荒唐無稽すぎるというものです。しかし、今や、日本のマンガは世界を席巻しています。

出版科学研究所がまとめた昨年のコミック全体の推定販売金額は4483億円で、1995年の5864億円をピークに、ほぼ毎年減少し続けています。少子化の影響が出ているという事が主な原因であるそうです。

 しかし、戦後のマンガ黄金時代を生み出す契機となった少年週刊誌「少年サンデー」「少年マガジン」は、今年で創刊から50年を迎え、各メディアも大きく取り上げました。

 鉄腕アトムがアニメ化。デスノートもハリウッドで実写映画化と、日本人としては嬉しい限りです。そして今では、マンガの専門学校もあり、大学でもマンガ学部が出来ていて、マンガを多いに読んで、世界の漫画家になれという先生や親たちが、既に現れています。

  話は、変わりますが、お笑いブームも、長く続いています。不況だとお笑いブームになるというのが定説です。ただ従来と違うのは、以前は、次から次へという、入れ替わりがなかったので、飽きられた感があるのに対し、今回のは正にサバイバルで激戦区、しかし、そこで生き残れば、県知事の道も見えてくるというところでしょうか。

 冠番組を持ってMC(番組進行役)となり、日本文化のオピニオンリーダーにも成り得ることから、かなりの若者が参戦してきている現状があると思われます。

  それでマンガの場合、今や吹き出しは、あらゆる言語に対応できるように、コンピュータ化が進んでいます。マンガが良い所は無国籍でも作れると事、キャラクターは日本的外国人なので、外国の読者でも違和感がない事です。

 お笑いも、英語版、中国語版が出来る芸人が出てくると、更に活気づきますが、泣かせるよりも笑わせることは10倍も大変です。しかも、外国の笑いのエッセンスとツボは違い、マンガより余程大変ですが、頑張って貰いたいところです。

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2009年5月15日 (金)

地動説と天動説の違い

 数日前、何という番組だったか分かりませんが、未曾有の大不況で、新宿の質屋さんに貴金属、高級時計、ネックレスを持ち込む人が増えていると言っていました。その内の一人をインタビューしたときに、男性が「ダイサッカイだから」と答えていました。ダイサッカイ??と思って調べてみると、これは『大殺界』で細木数子という女占い師が、占いを鑑定と称して本を出版していたのですが、この中で良く使われる言葉のようです。

 私の調べでは、仏教も、キリスト教も天動説です。しかし、ガリレオが地球が回っているというので宗教裁判に掛けられたのは、キリストの聖書に『神の支配のお陰で大地が安定し、不動となった』という文言に、否を唱える学説を言ったからです。

 しかし、日本の神道の表徴は三種の神器で、天動説ではなく、地動説です。いったい、何が根本的に違うのか。地動説は万物流転ですから、他者と自分の距離と位置は定まりません。流転すると言う事はそこに間が必要になります。人間、時間・世間というように、日本人の言霊に、時の重要性が包含されています。

 世界に192カ国の国があるということは国旗の数も192本あるということですが、中国の五星紅旗アメリカの星条旗にしても、他国は、全て夜に輝く星を尊んでいますが、日本は初日の出に代表するように唯一太陽信仰の国です。

「こんな暮らしじゃあ、お天道様の下はあるけねえや」と任侠映画でいったかどうかは分かりませんが、お天道様とは太陽のことで、太陽の下で、大手を振って歩ける人生でなければならないが根本です。

 つまり、太陽を中心と見て、己は活かされているという考え方です。しかし、アラブの人は太陽を嫌がります。兎も角、熱いのですからそれで、多いに夜を楽しみました。サラサラの砂に寝そべり、月を見てロマンを語りました。これが千夜一夜物語の原形だと思っています。そこには、海と山がありません。常に景色は一定ですが、日本は山でも風によって常に木々は語り合い、海は一瞬たりとも、その姿を固定しません。正に千波万波の時、きたって 時いたっての中で、天に逆らわずに生きてきたのが日本人です。

 田植えの時期を間違えて秋にし、春にを収穫を考えたら、人智では同じでも、結果は真逆です。天に準じることこそが、日本人の知恵であり、まかり間違っても、天が産まれた月によって区別するという考え方を私は潔しとしません。自分の行為と結果を天道のせいにしていくほど、不遜で実は傲慢なものはないと感じました。

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冤罪がない時代へ①

 先頃、アメリカでDNA鑑定の進歩などで冤罪とわかった死刑囚が124人もいた事が判明しました。何の罪もない100人以上もの人が合法的に殺されていたかもしれないと考えると、ぞっとする事実です。

  今、私がハマっている海外ドラマ「プリズン・ブレイク」は、冤罪の為に死刑宣告を受けた兄を助けるため、弟が入所し、兄と共に脱獄するという話ですが、これも実話をモデルにしています。

 ミズーリ州に住む兄弟ドナルドとロバート・ヒューズ。兄のロバートは16歳の時に、精神病だった母親のウソの証言で刑務所行きになり、その後、母親が証言を変えたにも関わらず拘束が続いたため、5年後に弟のドナルドが入所し、二人で脱獄。逃亡生活4年目で無罪となったそうです。

 私が作家志望の理由の一つに、冤罪を晴らしたいという事があります。例えば、1948年帝銀事件の死刑囚・平沢貞通は冤罪だったと思っています。根拠は様々ありますが、私は熊井監督の逸話を一番重視しています。

 熊井監督は帝銀事件の映画をとったとき、犯人役の役者がどうしても、毒薬をピペット(スポイト)でとり湯飲みにいれるシーンがスムーズに行かないので、器用な人間にやらせましたが、誰一人として完璧にこなす事ができませんでした。熊井監督は平沢をクロと描くかシロと描くか考え倦ねていたそうですが、この時、「シロだ」と確信したといいます。

 つまり、毒薬の扱いに慣れていない一般人が、堂々と強盗殺人を敢行できる筈がありません。あの時代に毒薬の扱いにたけ、殺人を敢行できるような人物というと、真犯人は731部隊の人間という線が濃いと思っています。

 現に警察当局も、当初は731部隊をあらっていました。しかし、ある時GHQからストップがかかり、平沢が犯人という線で捜査を進めていきます。ちなみに、この時に平沢から自白をとったのが、あの有名な平塚八兵衛さんです。

 当時は自白至上主義でしたので、平沢は病気のせいで曖昧な供述をした事もあり、体の良いスケープゴートScapegoatに仕立て上げられ、死刑囚となりました。しかし、流石に歴代法務大臣が死刑執行のサインをしないので、95歳で亡くなるまで、獄中で過ごしました。

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2009年5月14日 (木)

<法律の後に時代がやって来る>

 今、結婚しない男性が増えています。草食系男子が増加しているそうです。

 今や、人権に関する法律、セクシュアルハラスメント(セクハラ)の加害者個人は、他人の権利を侵害した不法行為として、民法709条による損害賠償責任を負います。そして、今や、刑法上の犯罪も問われる時代になりました。

  これにより、電車に乗っても、ボーっとしていれない時代になり、悪女は、その事を利用してタカルという事件も現実に起きています。文化は人の有り様を変えます。戦国の武将が現代に蘇ったら、ここは、何処の国の未来だと、正に猿の惑星状態になるでしょう。

 これは、一つの未来予測ですが、中国は行き過ぎた一人っ子政策で、女子が絶対的に不足します。日本では、女性が、あまるというより溢れる。文化、主義の違いから、中国男子が白人を選ぶより、日本人を選ぶ可能性があります。中国の地図を中心として考えると、モンゴールとロシア、ロシアとは共通の敵の場合は協調しますが、それほどの仲ではありません。

 地図の左のインドやパキスタン太平洋を飛び越えて、アメリカ女性と結婚の前に日本がターゲットになる事も可能性としては考えられます。

 もう一つは、 最近の法規の問題です。同和地区の出身者であるという理由だけで差別されるという大きな人権問題が同和問題ですが、現代においても、日常生活の中でさまざまな差別を受けており、依然として深刻な人権問題となっています。

 植民地支配の影響もあり、日本に定住するに至った朝鮮半島出身者やその子孫が、日本社会の中で差別を受けている問題が在日コリアン問題があります。ただ、司法を目指していたり、勉強が出来る人の大特長は、同和問題が起きた因・縁・果、コリアン問題の因・縁・果には興味をもちません。

 彼らの興味の対象は、試験に出るか出ないのかが重要なのであって、その経緯には感心がありません。つまり、弾一発撃たずに、日韓併合がなったのは如何なることかと言う問題はどうでも良いことです。

 戦後の殆どの時期、セクハラも同和もコリアン問題もありませんでした。そこから結果ありきからの現象で草食系男子が出てくるように、韓国北朝鮮への弱腰外交が起きてくるのは、私のブログのポリシーである因・縁・果の法則上は、必然の理であり、それで、タイトルを法律の後に時代がやって来るとしました。

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2009年5月12日 (火)

ドライバーの心の教本 さだまさしさんの『つぐない』

 私は、作家志望で、今、損害保険の物語をアジャスター(自動車事故査定員物語)として発表しています。酒酔いは運転は、人生を一瞬にして、奈落の底に追い遣ります。

http://www.youtube.com/watch?v=yX4lwo5nL98&feature=related

 さだまさしさんの『つぐない』を一ヶ月に、一回は日を決めて聞くようにしています。車を運転する以上、この歌はドライバーの心の教本です。私の身近でも交通事故で3人が亡くなっています。(小説・アジャスターと死の問題 09/3/16)交通事故というのは、決して他人事ではない事故です。

 この事をアップするのは、酒酔いで事故を起こし、保険が出ないと思って逃げ、最悪に最悪が重なって、悲惨が悲惨を更に招いた事例を知ったからです。

 結論から先に書くと、酒酔いでも、無免許でも賠償保険は出ます。より具体的に書くと、自賠責保険・対人保険・対物保険は出ます。何故かというと、被害者救済を大前提にしているからです。

 例えば30歳以上の人が運転する事になっている契約の自動車保険で、無免許で酔っ払って居る人が運転して起こした事故は、被害者が気の毒なので、被害者救済で保険は出ます。

 しかし29歳の無免許、酔っぱらいは出ません。ただ、それは、余程の事です。それこそ、盗難にでもあった場合だと思います。ただ、可能性としてあるのは、酒酔い運転です。これは保険が相手及び相手の財物(主には車・家・店など)に突っ込んだ場合
保険は適用になるので、決して逃げないで下さい。勿論、『飲んだら飲むな』は鉄則ですが。

 ついでに書くと、被害者救済が大前提ですが、加害者救済ではありませんので、酔っ払って事故を起こした当事者には保険が一切出ません。(自損事故の場合は、任意保険の「自損事故保険」で支払われますが、酒酔い・無免許・ドライバーの故意であった場合は出ません)

 具体的には、車両保険、搭乗者保険、人身傷害保険、自損事故保険です。更に、詳細に言うと生命保険は自動車保険ではないので出ます。ついでですから、もう一つ、これも調べてみると、不幸なことにかなりあるのですが、自分の身内を引いたり、犠牲にしてしまうことがあります。

 例えば、お父さんの車が帰ってきたと小さい子どもがお父さんの車にかけよった為に、ひき殺してしまうような事故です。この場合、強制保険はでます。しかし任意保険は出ません。

 その理由は、強制保険は、国の保険で加害者救済。所謂、民間の対人の自動車保険は出ません。何故かというと、お父さんから見て、子どもは赤の他人ではないからです。世知辛い世の中ですが、我が子を殺して保険金が親に入るという事件の防止もあるのかも知れません。

 私達に出来ることは、こうした事故を起こさないように、さだまさしさんの『つぐない』を定期的に聞くことで戒めとする事だと考えます。現にトラックのドライバーの人が、家族の写真を飾る事で事故件数が減ったという事例があります。

お酒を飲んだらハンドルは握らない。

 万、万、万が一酒酔いで運転をしても、保険は下ります。逃げないで下さい。これは自分を守る為でもある以上に殺めた人の為でもあります。本当の心の安全運転をお願いします。

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2009年5月11日 (月)

<これからのメディア戦略③>

 例えば、私が最近、投稿した『19歳から団塊世代の皆様へ』副題、日本虐めの構造の中で、父が言った言葉を引用しています。

 小泉さんが総理になって最初にしたこと。それは写真集の出版でした。「父は男が還暦になって、それも政治家だぞ、こいつ、危ない」と言いました。

 当時、テレビでは、小泉ブームが起きていました。そして最後まで、小泉さんは名宰相という扱いでした。刺客選挙(郵政民営化)が2005年9月、小泉ブームで大勝。田原総一朗さんは、その日興奮して小泉さんに、総理続投を迫っていました。

 しかし、過去を紐解くと、小泉さん以上に人気のあった『今太閤』と言われた田中角栄さんも独断専行で、日本列島改造論は、日本を狂乱物価に引きずり込みました。未来の未来は、過去の過去にこそあるという訳です。それで父は、「反動が来る」と言いました。

 悪因縁とは悪因悪果のこと、その悪因縁は七代祟るといいます。案の定、同じ奉行だった安倍奉行が安倍将軍になって、次に福田奉行が福田将軍になっても、麻生奉行が麻生将軍になって三代祟っています。

 私の世代が、この先、どのように良くなるのか悪くなるのかは、まだ未確定ですが、逃れられない宿命は確定しています。それは、小沢さんと小泉さんが手を付けなかった、若しくは被害を拡大した公債(国債と地方債)の借金800兆円と年金問題です。

 一方的にツケを回した世代と黙って、そのツケを支払う世代。どこの話?と思っている人は、原宿、渋谷にいってフォーエバー21のファストファッションに御注進ですが、人は時代に翻弄されるもの。流される若者が多い国が衰退し、立ち上がる若者が多い国が台頭してくるのは必然の理です。

 歴史を紐解くと、源実朝は三代将軍でした。鶴岡八幡宮での儀式(実朝が武士として始めて右大臣になった事を祝う拝賀祝い)において、銀杏の木の陰に隠れていた公暁(実朝の甥)は伯父である源 実朝を暗殺しました。一世一代の伯父の晴れの席で肉親を殺した訳です。秀吉も甥に関白職を譲りながら、自分に秀頼が出来ると、甥一族を全員殺しました。

 親族とは三代も遡れば、同質同根です。己の影を殺す行為は、己という実体をも殺す事に繋がります。小泉さんは、是に近い事をしました。

 刺客と郵政を計りに掛けて、郵政が上と下のは小泉さんだけだったと森元総理が断言していますから、『賢者は歴史に学び愚者は体験からも学ばず』だと私は思っていますが、特に国会議員ともなれば、日本史から多くを学のはイロハのイというものです。

 さて、百聞は一見に如かず。百見は一考に如かず。百考は一行に如かずと言いますが、動画と静止画の違いは何でしょうか。

 私の考えでは、静止画、つまり写真は「百聞は一見に如かず」で終わりですが、動画ですと、「百考は一行に如かず」で、つまり行動したのと同じくらいを脳は覚えてしまうのだと考えます。

 お笑い芸人が関西で「何、気取って歩いてるのよ」と小母ちゃん達に背中を叩かれるのは、その小母ちゃんにとって隣のお兄さんより、その芸人の事を良く知っているからです。でも、写真では、背中を叩く行動まではいきません。昔の有名人だということで、黙ってみていた所謂、銀幕のスターという存在です。

 発展する機器の発するメディアによって、人間の考えや行動も変わります。考えてみて下さい。本来、教育というのは昔60時間掛かっていたものを技術革新と教える技術で40時間にするべきものです。

 そうなれば、小学校は4年生で卒業できます。更に、今は、幼稚園に2年は通っていますから、小学校の勉強は3年で出来ても不思議ではありません。そうやって、取得時間を短くさせる技術こそ先生の力量ですが、教師のカリキュラムに、それはありません。

 例えば、大半の人は勉強は価値があると決め付けています。それでは、「勉強が具体的に役だった時とはいつですか?」と聞くと、返答に窮します。

 東大や京大で、日本を代表する技術者といったら、一番に来るのはイチローです。でも、彼はアスリートです。それでは何故イチローが凄いのか。『生きることは 一筋がよし 寒椿』の通り真一文字に野球道を走っているからです。

 『柔能く剛を制す』『一芸に秀でた者は万芸を制す』のであって、万芸を制して一芸に長じた人は希少です。それで私は勉強嫌いな弟に、「これからは、どこよりも情報を瞬時に取り出すかが、最大のコストパフォーマンスだ。それには勉強を情報として科学しよう」といって遊び人を、必殺仕事人にしようと企てています。

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<これからのメディア戦略②>

 今、お笑いブームが続いています。初代 林家三平さんは昭和の爆笑王と言われていますが、古典は出来なかったようです。この事が、実は三平さんの悩みの種だったようです。つまり古典が出来なければ名人とは言われないのが、落語の世界だった訳です。

 でも今、明石家さんまさんに古典落語を求める人が居ないので、三平さんは進んでいたという事になります。現在は決まり切った事を語る落語よりMC(番組進行役)の時代で、日常の生活を面白おかしく語る人達が増えてきました。

 何しろ産まれたときから、テレビとパソコンの洗礼を受けているのですから上手くなる筈です。私の弟は学校から帰ってくると、パソコンで友達とチャットをしていています。所謂、デジタルネイティブ世代です。弟の友達を見ていても、お笑い芸人の素質がある子が多くいます。

 これは、マスメディアが学校の教育以上に教育を目的としていないのに、洗脳して教育している証です。そもそも、時代は既に教科書を必要としていません。私は勉強は殆ど通信教育でしたが、まずノートを必要としませんでした。教科書もノートも、もう古い訳です。

 文科省は教科書をDVDにするとか、インターネットでダウンロードさせるとかにすれば、資源を無駄に使わないで済む上に、動画配信でもすれば、より臨場感がある授業が受けられます。

 鈴木健二さん(元NHKアナウンサー著書・『気くばりのすすめ』はベストセラー)は、書きながら思い出すのが通常で、書く、話すというシステムを、脳から直接話すという事が出来たそうです。

 漫画は読めるが、本は読めないという人が、かなりいます。更に動画になると、その率は高くなります。それでは活字離れが起きているのかというと、それは一概には言えません。

 ブログです。

 多くの新聞の記事は、「中川昭一財務大臣が酔っ払って世界にデビューした」とは書けないようで、体調が不調だと書くので、脳が分からなくなりますが、多くのブロガーが、単純明快に「酔っぱらい」と書きました。つまり、新聞よりブログの方が良く分かるし、真相に近いということです。

 私の印象では二極化現象が起きています。一つはテレビから情報の大半を得ている人、その対局がインターネットのブログです。一番、顕著なのは麻生さんはブロガーには人気が高く、小泉さんは低い。ところがテレビでは、その反対になります。

 何故、そうなるのか。テレビは動画です。しかし、ブロガーは、その動画と新聞と独自の視点を持っていますから、テレビ視聴者の 10倍以上、書くという作業の目的のために感度が鋭くなります。

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<これからのメディア戦略>

 作家志望の私としては西村京太郎さんは、雲の上の人です。今でも一ヶ月内に十津川警部の新作を一冊ずつ出し続けています。一日に原稿用紙20枚ペースだとかで、ライバルだった山村美沙さんは100枚だったというから驚きです。

 本の数は450冊、45年の作家生活で2億冊以上販売しているとのことですから天才です。キッカケは「29歳の時、松本清張さんの小説を読んで自分でも書けると思った」と語っているので、天才は天才を知るということなのでしょうか。

 清張さんはメモ魔、写真魔だったようですが、西村さんはメモを取らない写真も撮らないと言っていました。私は、情報を簿記の原則で処理しています。つまり仕訳帳、元帳転記という具合です。

 野口悠紀雄さんの書いた超整理日誌(週刊ダイアモンド)も取り入れています。そうしないと落ち着きません。もうこれは、癖というか習慣になっています。つまりタイピングしないと脳に刻まれないとうことです。病気と言えば病気ですが、一朝一夕では身に付きません。私は、より良い現代病だと思っています。

 人間の脳は、二つのOSを起動させるのは難しく、ケータイが主流になると親指文化が発達してしまいます。しかしパソコンが主体になると、指10本を使うので、疲労は1/10 早さは10倍となり、これは原付とスポーツカーくらいの差が生じてきます。

 私は「爪を伸ばすな、そんな時間があったら歯の方のメンテナンスを優先せよ」というのをモットーにしています。あまりに長い爪だとキーボードが上手く打てません。それに歯も上手く磨けないと思います。爪はほっといても勝手に生えてきますが、歯は失ったら生えてくることはありません。

 しかし、一度、根付いた習慣は変えられません。これは5年で大きな格差になって現れてきます。そして、これからの時代、国力とは武力ではなく、パソコン力になっていきます。

 日本は同じスキルでは、人口大国の中国と戦略大国アメリカに勝てません。この両者はG2ともいわれ、益々日本はパッシングされるかも知れません。そうなると、彼らよりパソコン技能Skillが上でないといけません。ケータイは、通勤通学という、ただボーとして頭を悪くしている時間帯を、メールスキルアップに貢献しました。恐らく、通勤ラッシュのない中国、米国より進んでいます。それはそれで良いのですが、そこから先となるとパソコン力になると思っています。

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2009年5月 8日 (金)

<アメリカと中国>

 この1-3月の指数で、貿易の相手先は アメリカ13% 中国19%。対米輸出1兆2700億円 対中輸出1兆2800億円(2008夏現在)で日本での一番の貿易国はアメリカから中国に変わりました。

 これで、中国を含むアジア相手の輸出比率は全体の46%となります。国のインフラ(社会基盤)と個人の家、自動車、家電がとっくに揃っているアメリカに対し、アジアはこれからで、この開きは今後も広がっていきます。

 さて、日本にとっても中国とアメリカの関係ですが、太平洋戦争中、日本は中国内に満州王国を設立しました。しかし、これは台湾統治と日韓併合とは異なります。
台湾の場合は、民衆が蒋介石の悪政より日本を選びましたし、韓国は、韓国の李王朝からの依頼により、玉一つ撃たずに日韓併合をしました。しかし満州の場合はラストエンペラー溥儀(フギ)の弟、溥傑(フケツ)が、半ば亡命を求めて日本に来た事を利用した側面があります。

 正式に日本に救済の依頼があった訳ではないのに、時の陸軍が、1937・7・7 廬溝橋事件、同年8月に第二次上海事変が起きます。この廬溝橋事件を発端として終戦までの8年間を当初、支那事変としていましたが、その後、日華事変となり、更に今では日中戦争となっている事から分かるように、この経緯を中国は怒り続けています。

 『水滸伝』を書いた作家の北方謙三さんが「中国のプライドは漢王朝にあって、例えば江戸情緒と言えば、それは徳川時代を指すように、漢字に見られるように中国の文化の源泉である。それをイギリスと日本だけは漢のプライドを傷つけたので恨みに思っている」と解説していました。

 しかし、日本人の私は、イギリスが中国に取った政策の方が、イギリスがインドにした政策と大同小異で、しかもインドで取れた阿片を中国人に売りつけて国民を腑抜け状態にすることは、当時のレベルで言えば、人為的、豚インフルエンザ(新型インフルエンザ)に近いものです。

 本国のイギリスでは快楽のため、中国では腑抜けにするための策であった事は明白です。これは語られないが本質ではないのかと思うのですが。黄色は白色に劣等意識があるのではないかと思っています。

 つまり、中国から見れば、白色にされた悪よりも同色の日本に占領された事が忌々しい。中国は漢字という文化を始め、様々な文化を日本に伝えたが、日本からの輸入はない。白色が黄色に対して行ったもの、それは、インディアンの大虐殺200万人、しかし、それを越える310万人の大虐殺を太平洋戦争でした。

 しかし日本人の中で、散々、親族を殺されたのにアメリカに対する恨みが国上げてあるわけではありません。水に流しすぎる日本と、一切、水に流さない中国。アジアの復興の時に、これが最大の問題です。

 前回、「クライスラーがフィアットを立てられるか」と書きましたが、戦争の後遺症は、計り知れないほど巨大です。法的にはサンフランシスコ講話条約で、日本は刑を実行しているのですが、この問題は尾を引きます。昨日のことのように語る中国、何も事実を教わっていない世代。しかし通訳する国はいない。

 せめて司馬さんが、昭和を書いて、太平洋ではない。大東亜共栄圏、五族協和⇒ 満州 支那 日本 朝鮮 蒙古共和の精神が、大東亜の根幹であったとする因・縁・果物語を書いてくれていたらと思います。

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2009年5月 7日 (木)

GWに考えた事。

 直木賞を取った小説を1冊と、国際ジャーナリストの人の作品を読みました。

 取り立てて印象には残りませんでした。私が大事にしているのは、現在地と現在値です。これがハッキリしないと、読者は定まらないと思います。つまり主人公は何者なのか書かないと、私は分からないと思うのですが、最近の作品は主人公捜しから始めなければならないようなところがあります。

 昔の小説を読むと、「身長は一七五センチで、スーツの似合う髪を七三分けにし、ネクタイを締めた男であった」というような、その人物描写が詳しく描いているものが多いです。このブログで何時もいっているメディア・イズ・メッセージで当時は映像メディアが少なく、ラジオを基本としていたせいで、読者にまず人物を想像させるためにそうだったのかなと思います。

 でも今はテレビ主体で、間に入るラーメンのCMとか家電のCMとかが入り、種々雑多な中で生きています。そんな中で定まらない文化が構築され、それはそれで良しと大衆が認めるようになっていきたのではないかと考えます。

 例えば、歌でも歌詞が早口で何を言っているのか分からなかったり、イントネーションも違っていたりする歌があります。有名な♪蛍の光、窓の雪~という歌がありますが、このイントネーションは本来、おかしい訳ですが、そういった歌も受け入れられる時代なのだと捉えています。

 小説は、それぞれに好みがありますが、人は時代に翻弄されるものだと思っています。例えば、何年経っても豚インフルエンザの時のGWは高速道路が千円で、というように時代を背負っているのが人間だと思います。ですから、その時流の中でもがき、決断するところ、 時代と自分は無関係で何気ない出来事に出会うという作品が多いのですが、それが文学なのかという疑問が私にあります。

 加藤周一さんが、「人間の価値観を文字に表したものが文学で、文学とは人生及び社会の目的を決める者である」と言っていますが、この言葉を改めて考えました。

 真の休養とは、孤独になる事だと思います。昔はそういう週刊があったのではないかと思うことがあります。一生懸命は、一所懸命と言いました。当時は一つ県を跨ぐだけで異国の地に行くようなもので、そこには何がいるのか分からないので、総評して鬼と捉えました。それが良い悪いではなく、旅というものは市と隣り合わせでした。

 松尾芭蕉が旅立つときに最初に見たものは、二歳くらいの子供が川原に捨てられている光景でした。恐らく、間引きだったのだと思われます。夜になれば、獣に襲われたかも知れません。

 しかし現代は昔、鬼がいるかも知れないと思われた旅に出かけていきます。それは高速道路が千円で乗り放題という経済を中心とした考えからです。昔は命懸けの旅が今は安らぎの旅か、安らぎの旅だと思って皆と同じ行動をとっている事が安心するのか分かりませんが、昔の人との違いです。

 例えば小泉さんが何か言うと、特別な事を言ったような報道をします。その本質は、郵政選挙で大勝した事への賛辞だと思いますが、票を集めた=正しい政治だったという事にはならないと思っています。高支持率だった内閣を調べると、田中内閣があり、当時、今太閤と言われるほどの人気でした。列島改造論で日本の地価を上げるだけ上げて、それが不況の原因となりました。

 東条内閣、これも任期が高かったようです。それに比べて吉田茂首相は馬鹿ヤロー解散の時にかなり叩かれたとか。所得倍増論を言った池田首相は「貧乏人は麦を食えと言ったとかで、そのような事実はないものの、物議を醸し出しましたが、後生から見れば吉田さんと池田さんは名宰相に分類されるのではないでしょうか。それに対し、小泉さんが後生、名宰相になることはないと個人的には思っています。

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